JICA Volunteer at Jordan 4

2013年06月18日 08:00

ヨルダンに逃れて来たシリア難民の数は80万人を越えると言われている。
勿論、難民キャンプだけでシリアの人達を収容できるわけもなく、多くの人達はヨルダンの街中で暮らす事になる。

内戦が長期化しつつある現在。
ヨルダンの街中に住む人達への物的サポート、精神的サポートが必要となってくる。

青年海外協力隊隊員の一人、西村さんはかつてシリアで2年間の隊員経験があり、内戦が始まった今。
かつて自分が触れ合ったシリア人に何かできる事はないか。そう思いヨルダンでの活動に志願した。
西村さんはキャンプ内で活動する2人と同じく、青少年活動という枠組みの中でマフラック市内にある子供達の為の施設で活動している。
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キャンプ内の施設と同様に子供達がつかの間、戦争を忘れ笑顔を取り戻す場所だ。
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子供達は歌ったり、踊ったり、お絵描きをする。

ザータリキャンプではセーブザチルドレンのヨルダン人スタッフがイニシアティブを握っていたが、この施設は日本人のボランティア西村さんが中心となって活動をしていた。
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この施設の特徴は子供達だけでなく、お母さん達も一緒に施設に来て他のお母さん達とお話をしたり編み物をしたりしている事だ。
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難民生活が長期化し、女性達が精神的にふさぎ込んでしまう事を防いでいる。
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子供が描いた絵を見せてくれた。
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この写真の中に戦争で両親を亡くし、兄弟2人だけでヨルダンに逃れて来た子供がいる。
その一人の男の子、年齢はティサだったか、タマーニャだったか忘れてしまったが、僕が子供達を撮影しようとするとカメラの目の前に現れて邪魔をする。
でも、悪気はなさそうで、かまって欲しい視線を感じた。
撮影しなきゃ、という想いと、この男の子をほっておくのはイヤだな〜という想いが交錯していた。
そんな時、西村さんが、「この子両親を戦争で亡くして兄弟2人だけなんですよ」と教えてくれた。
正確には母親は刑務所に入れられたそうだが、長期間連絡が取れず、生存は絶望的だそうだ。

彼が求めたのは父性だったのだろうか。
僕が施設にいる間、かなりの頻度で僕の近くにまとわりついていた。
僕は早めに撮影を切り上げ、残りの時間を言葉か通じない彼と遊ぶ時間にした。

西村さんが子供の境遇を教えてくれなければ、鬱陶しい子供と思ってしまっていたかもしれない。
彼はいつも眉間にしわを寄せ不機嫌そうで、他の子供達とあたってしまう事も多いらしい。
そんな子供が僕に心を開いたかどうかは分からないが、つかの間懐いてきた。
西村さんは「ちょっとジェラシーですよ〜」と笑顔で言った。

そして、翌日。
同じ子供が西村さんに「あの日本人のお友達は今日来ないの〜」と聞いたそうだ。
今回、子供の描いた絵を見て泣いた、難民のおばさんの話を聞いて泣いた、そして、この子供の話を聞いて泣いた。僕たちは子供の出す表面的な笑顔だけを撮影してはいけないと、改めて思った。
フォトジャーナリストとしてでなくてもいい。
一人の人として、もう一度、この子に会いたいと思う。
一時、彗星のように現れて消えて行く、そんな無責任な大人にはなりたくない。

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コメント

  1. 岐阜やまだ | URL | -

    ぼくもカンボジアにお兄ちゃんになってくれと言われた一人の男の子を思い出しました。会いに行きたい。

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