若きフォトジャーナリストの話。

2013年02月03日 00:06

アフガニスタン、イラクと二つの戦争を経験して、日本のあちこちで講演をさせてもらった。
どこの講演だっただろう。
一人の若者が僕の講演を聞いてくれて、フォトジャーナリストになりたいと思ったらしい。

近年、僕を訪ね、フォトジャーナリストになりたいんですが、どうしたら良いですか?と聞いて来る若者が多い。
しかし、今日のブログで紹介する彼は僕にあれこれ聞いてこなかった。
ただ一言「僕も久保田さんのように伝わらない現実を伝えたい」と言った。

彼は自分で勉強し、現場経験をつみ、立派なフォトジャーナリストになった。
時折、現場から僕にメールを送って来てくれた。
彼は中東のあちこちを取材し、今、世界的に問題になっているシリアにも足を運んでいた。

ある時、突然、彼のお父さんからメールが来た。
「息子が亡くなりました」と。
僕は。。僕が彼をジャーナリストの道に引きずり込んでしまった。と思い、お父さんに責められると思った。
お父さんのメールは「息子は久保田さんに憧れ、自分のやるべき事を見つけられて幸せだったと思います」と言う事が書かれてあった。

僕は年賀状をあまり書かないが、彼のお父さんからは長年にわたって年賀状が届いていて、僕もできるだけお返事を書いていた。

時代は進化し、彼のお父さんと僕はface bookでお友達になっている。
2013年初の海外取材に行く事が決まり、友人達に報告件、支援をお願いしている。
彼のお父さんにメッセージを送ろうかどうか、PCの前で15分程迷った。
様々な思いがあって、僕がメッセージを送って良いのかどうか迷っていた。
送る後悔と送らない後悔を考えて送った。
時間はそろそろ明るくなる朝方だった。
5分と待たずにお父さんから返事が来た。

僕が行く国は彼が愛した国。そして、偶然だが、彼の命日は2月の27日。
お父さんは抗生物質1000錠と活動資金を送ってくれると。
徹夜でいろんな人にメールを送っていて、もう限界で寝る寸前にお父さんに連絡をした。

いつも思っている。
自分のしている仕事ってなんだろう。
命がけで取材しながら伝えられなくて、貧乏して、次の取材にも行けなくて。

彼のお父さんとメールのやりとりをして、何かが吹っ切れた。
僕はまだ動ける。
彼の想いとお父さんの想い、そして、人を助ける事ができる薬。
僕が運ぶ。


久保田ショップ





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