カメラマンの質と資質。

2012年08月13日 08:00

10数年振りにインターハイの撮影をしてカメラマンの質と資質について考えさせられた。

フィルム時代、室内競技の撮影はフィルム感度の限界とフィルムの節約という制約があり、カメラマンに資質が求められていた。

デジタル時代を迎えた今日、実質的に感度の制約は無くなったといえる。
フルム時代ISO1600で撮影してもノイズが出ていたが、最新のデジタルカメラならISO6400で撮影してもノイズはフルムのISO1600以下におさえられる。
シャッター速度も250分の1秒が切れず200分の1秒で止まるシーンを探していたりしたが、デジタルでは500分の1秒を切る事が可能だ。
メディアの大容量化によって撮影可能枚数も飛躍的に伸び、1試合で相当な枚数を撮影してもメディアの交換は必要なくなってきた。
モニターによる撮影画像のチェックもできるため、失敗していたらデリートして再撮影する事も可能になった。

フィルム時代はミラーの消失時間に撮影された映像を想像しながら、限られたフィルムで撮影していたが技術の進化は撮影しながらタイミングを計り、より良い結果を生むまで撮影するというスタイルを可能にした。

そういう意味ではカメラマンに問われる資質は少なくなったと言えるだろう。
実際インターハイの会場を見てもスポーツ専門のカメラマンの数が少なく、新聞屋さんも記者兼カメラマンが多かった。
僕としてはカメラマンに問われる資質が多い方が勝負になって良いのだが、時代の流れで誰でも写真が撮りやすくなった現状は仕方ないと思う。

問題はカメラマンの質だ。
スポーツの世界では僕は浦島太郎になってしまったが、この10数年でこれほどの変化が生じたかと驚いた。
結果から言えばカメラマンの質は驚く程落ちた。

昔はインターハイの撮影に来ているカメラマンは間違いなく各社のエキスパートだった。
それ故、暗黙の了解であるルールやマナーをしっかり守っていた。
撮影がeasyになった分、ちゃんとルールやマナーを教わって来ていないにわかカメラマンが増えてしまたようだ。

最悪だったのは卓球会場での表彰式。
表彰式の最中、地方新聞の記者カメ二人が自分達が撮影する必要がないときにずっとおしゃべりをしていた。
高校生の汗と涙の結果、彼等の努力を表する瞬間に会場内でおしゃべりをしているなど論外。

室内競技を撮影するなら上靴をちゃんと用意するのが常識。
記者カメはスリッパでぺたぺた歩く。
しかも、表彰の最中にも不用意に動き回る。

そして、各競技には専門誌があり、その専門誌から派遣されたカメラマンがいる。
卓球の表彰式でで某専門誌のカメラマンが「このカメラがメインだがかね。後のカメラはどうでもいいから」と発言した。しかも他誌が撮影している時に生徒に話しかけ、「こっちむけ」と撮影の邪魔をする始末。
僕は表彰のメインカメラマンじゃなくサポートで入っていたが、自社のカメラマンが撮影している時にも横から生徒に声をかけ邪魔をしてきたので3歩近寄り最高に怖い顔をして「だまれ!」と一言だけ言った。

僕がメインカメラマンでなかったのが不幸中の幸い。
僕がメインだったが、間違いなく外に連れ出している。

写真を撮る事が大変だった時代にはこういった輩は殆ど存在しなかった。
技術の進化によって押せば写る(本当はそうじゃない)時代になり先輩カメラマンから教わる事も少なくなり、残念なカメラマンが増えたようだ。

カメラマンに求められる資質が少なくなり、質が低下したと言える。
カメラマンは主人公ではない高校総体というイベントにお邪魔している存在だと言う事を忘れないでほしい。

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