大川小学校。

2012年02月07日 10:00

東日本大震災からもうすぐ一年。
人々の記憶の中から「震災」のイメージが消え始めた昨今。

岐阜県の山県市で東日本大震災の復興イベントで映画鑑賞会と講演があり、その講演によばれた。
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大手マスコミの人が取材に奔走している震災現場。
僕たちフリーランスの出番はないと思っていた。

取材ではなく支援物資を運ぶ友人につき合って岩手県を訪れた。
現場を訪れてみると大手マスコミの人達が発表していない現実がいくつもあった。

某赤坂のテレビ局で働く友人から「被災地に行こう」と誘われた。
番組の取材かと思いきや、全くプライベートで現実を知っておきたいから現場に行くとの事だった。
後で知ったのだが、彼は震災直後からプライベートで何度も被災地を訪れていた。

陸前高田は僕の方が詳しかったが、その他の被災地の現状は彼が色々と教えてくれた。
彼が案内してくれた被災地の一つが大川小学校。
岐阜での講演時、自分が撮影した大川小学校の写真を見ながら涙をこらえるのがやっとだった。
こんな時、僕はこの職業に向いていないとつくずく思う。

災害時の避難は学校の体育館という定説は今回の震災で崩れ去った。
大川小学校に限らず仙台青葉区の小学校の体育館も壊滅状態だった。
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最近、また大川小学校の事が報道されていた。
大川小学校では教職員10人と児童74人が亡くなった。
大川小学校が作成した地震・津波の発生を想定した「危機管理マニュアル」には、避難場所として「近隣の空き地・ 公園等」とあるだけで具体的な場所は明記されていなかった。同小学校は「人災の部分もある」として謝罪した。
ご遺族の方々がお子さんを亡くされ、納得できない部分が残るのは理解できる。
地元ではどんな意識だったのだろう。
僕が訪れた第一印象は、こんな場所まで津波が押し寄せて来たのか?だった。
大川小学校は河口から約5キロ程離れている。
学校の前を流れる川の川幅も相当広い。
IMG_2728.jpg
僕が訪れたとき、毎日のように地元のお坊さんがお経をあげに来ていた。
お坊さんが帰って行く方角に橋があり、学校の敷地より高くなっている。

学校の裏には裏山があるが、かなりの急斜面。
自分が学校の先生だったとしても小学生を連れて登るのは不適切と思う。
誰もが予想しない程の大津波だと分かったとき、なだらかな橋の方に向かうのは当然と思える。

現場を訪れなければ分からない事が沢山ある。
僕自身、ニュースだけを見ていたら「そんな川のある方じゃなくて山側に逃げるべきだろう」と思ってしまう。
今回の震災で多くの尊い命が犠牲になったのは間違いない。
同じ過ちを繰り返さない為に避難手順等を見直し、いつ来るか分からない天災に備えるべきだと思う。

岐阜県山県市のイベントの映画鑑賞会では「エクレールお菓子放浪記」が上映された。
タイトルからしてあまり見る気がしない映画だったが、一見の価値あり!だった。

震災は間違いなく天災、戦争は間違いなく人災。
天災の責任が追求されるが、意外な事に戦争の責任の方が追求されていない。
3月で震災から一年を迎える。
報道が責任追及型にならない事を祈る。


宮城県気仙沼のお酒


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コメント

  1. 蔦木@大月 | URL | -

    Re: 大川小学校。

    ご無沙汰です。
    同業者として、身につまされる思いです。

    もしこの場で、何か起きたら・・・、という想像力がとっても大事な気がします。

  2. 二瓶龍彦 | URL | iaoH9nFM

    Re: 大川小学校。

    PHILIA projectに演出家として参加している二瓶と申します。縁あって、大川小学校の遺族の方の話を聞くことになり、現在、多くの方に大川小学校で何が起こったかを伝えようとしています。
    久保田さんのブログで、一部事実とは異なり誤解を与えるのではないかと思われる箇所がありますので、少し言及させていただきます。
    初めて訪れた人は、すぐ見える裏山の場所を見て急すぎると感じますが、もう少し行くとゆるやかな坂道があります。子どもたちはそこできのこ栽培などもし、いつも山に登っていました。遺族の方たちはもちろん、大川小学校を知る地元の人たちは、なぜ裏山に逃げなかったのか、疑問を抱き続けています。個人的には、大人たちは津波はここまで来ないと、はじめから逃げる気がなかったとしか思えません。津波の危険を感じて、川に向かう人はいませんから。子どもたちの命を預かっているにもかかわらず、なぜ大川小学校だけがそう判断したのか。(近くの同じような条件の学校ではほとんど犠牲が出ていません)逃げることもできず、50分もの間校庭にいさせられつづけた子どもたちの恐怖を思うと、言葉もありません。そして、子どもたちを津波が襲った瞬間のことを思うと。
    大川小学校の遺族の人たちは、事実をうやむやにされ、忘れられてゆくことを最も恐れています。こうやってブログに書いていただけたこと、きっと遺族の方も喜んでおられると思います。
    大川小学校の問題と福島原発事故を扱ったPHILIA projectの緊急企画を2月13日(月)14日(火)に開催します。ゲストは、「未来の福島こども基金」の向井雪子さんとフォト・ジャーナリストの森住卓さんです。多くの人に見ていただけたらと思っています。
    http://www.cc9.ne.jp/~nihei-1817/info.html

  3. HIRO | URL | -

    二瓶様

    丁寧なコメントありがとうございます。
    僕自身も地元の方々に色々とお話を聞きました。
    おっしゃる通り、何故裏山に逃げなかったのか?という意見も沢山ありました。
    50分もの間校庭にいたという事からも、ここまで大きな津波がくると当事者達が想像していなかった。
    地元に住んでいて大川小学校が壊滅状態になる程の津波がくるとは思わなかったと話してくれた人も多かったです。尊い命が沢山奪われた事を忘れず、学校や体育館が避難場所として安全だと思われていた事を反省すべきだと思います。情報の伝達、現場の判断、同じ過ちを繰り返さないために。

  4. 春川光男 | URL | -

    Re: 大川小学校。

    千葉県在住で 「2011年旭市の津波被害を記録する会」の春川光男です。私も現地調査に行きました。
    神宮威一郎さんのページに大川小学校の斜面の明瞭な写真があり、関連してコメントを書き込んでいます。「最近のコメント」欄を読んでいただけると幸いです。

  5. | |

    管理人のみ閲覧できます

    このコメントは管理人のみ閲覧できます

  6. 鉄火お嬢 | URL | qDfdtOiE

    エクレール

    「お菓子放浪記」に旅芸人一座の三味線弾きで出演していた、女優の満利江さん。友達で、ちょうど月曜に渋谷で会いました。映画の撮影地が被災して映画館が流されたり、エキストラさんも多数亡くなり、一生忘れられないと。孤児が戦争や混乱を生き抜く姿が、震災から何とか立ち直ろうとする人々と重なります。名古屋で上映会があった時には、満利江さんが貴重な資料を主催者に贈って下さいました。

  7. 焼きナス | URL | -

    Re:大川小学校。

    3.11から2年8か月が過ぎてしまいました。被災された方々にとって、沢山の心の傷を抱えて過ごしていらっしゃる事と存じます。
    私は学校管理下で子供が怪我を負い、教育行政の人権侵害、公文書隠ぺいなど本当に辛い体験をしました。全国に我が家以上にもっと悲しい辛い思いをされた被害者の方々が結束して、「学校事故・事件を語る会」を設立しました。
     被害者がみんなで運営する会で、被害者の相談、支援をしたりしています。先日は「学校事故・事件被害者全国弁護団」が設立して、学校事故関連に関っている弁護士も一緒になって活動する対応ができるようになりました。
     教育行政は保身の為ならどんな事でも動きます。その事で被害者家族が、2次・3次被害を受けるような事態にもなっています。
     3.11の直後にお見舞いの電話をしてきてくれたのが、学校事故で子供を亡くした九州に住むお母さんでした。
     「大切に育ててきた愛するわが子を亡くした親の悲しみ。涙はみんな一緒だよ!」と、電話口で泣いていました。
     このような事故を二度と繰り返さない為には、事故の詳細な事実を調査しなければ、再発防止策を構築する事もできません。
     日本が少子化の中で、子供の死亡数は減少せず、増加している事に私たち大人は真剣に取り組む必要があります。
     亡くなった子ども達の無言の叫び!警笛を!絶対無駄にしてはいけません。

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