プロゴルファー杉原輝雄さん死去。

2011年12月28日 16:53

かれこれ20年近く前。
芸能人のインタビュー撮影をしていた。
カメラマンとして駆け出しの僕はテレビで見た事がある有名人を撮影するのに緊張していた。

大阪へ行って杉原輝雄さんのインタビューをお願いします。という依頼が来た。
ライターさんと待ち合わせのANAホテルへ到着。
杉原プロを探す。

当時の僕はゴルフの経験もなく、杉原プロが飛ばし屋のジャンボ尾崎と死闘を演じた事くらいしかしらなかった。
なんとなく、顔を覚えていたくらい。

待ち合わせホテルのロビーでカフェを覗き込み杉原プロを探すが見つからない。
なんと杉原プロはお茶でも飲んで待っているという僕たちの期待を裏切り、柱の陰にぽつんと佇んでいた。
僕の第一印象は「こんな小さな人なんだ」だった。
インタビューはライターさんにお任せで、僕は30分という短い時間にライィングを整え、杉原プロの表情を追いかけた。
後に知った事だが、調子が悪くシード権をなくした年だった。

残念な事にインタビューの内容は覚えていないが、笑顔を交えなつつも要所要所で鋭い眼光を見せる杉原プロだった。
体格に恵まれず、飛距離では圧倒的に不利でありながら長年プロ生活を続けた杉原プロ。
強さを全面に出さず、気さくで話しやすい人柄だった。
我が母親と一歳違いでの永眠。
ご冥福をお祈りします。

下記、毎日jpより
がんとの闘病を続けながら「生涯現役」を貫いたプロゴルファーの杉原輝雄(すぎはら・てるお)さんが28日午前、死去した。74歳。葬儀は近親者のみで執り行う。

 12歳の時、大阪府茨木市の自宅近くの茨木カンツリー倶楽部でキャディーをしながらゴルフを始め、1957年にプロ入り。62年の日本オープンで初勝利を飾ってトッププロの座を不動のものとした。優勝は国内56回(うちツアー28回)、海外1回、シニア競技6回。

 身長162センチ、体重60キロと小柄で、ドライバーの飛距離は出ないが正確無比のショットを放つ名手で、しぶとい戦いぶりから「マムシ」の異名を取った。さらに、関西の若手のみならず、全国のプロを束ねたことから「プロゴルフ界のドン」の称号が付いた。

 98年4月の4戦目「デサントクラシック」において、前立腺がんであることを明かした。しかし、「試合に勝とうと思って出場しているので、手術が2週間で済んでも、ツアーで戦える体に戻すには半年かかる。そんな時間の余裕はない」と手術はしなかった。

 その後も若手選手に交じって試合に出続け、レギュラーツアーでは誰も達成したことのない「エージシュート」(年齢以下のスコアでのラウンド)にも挑戦した。2006年の「つるやオープン」で68歳の国内最年長予選通過記録を達成。第2ラウンドでエージシュートにあと1打と迫る69ストロークを記録した。また、「中日クラウンズ」には10年まで51回連続出場を果たし、アーノルド・パーマー(米国)が海外4大大会の「マスターズ」に50回続けて出場したのを上回る同一大会連続出場の「世界新記録」を樹立した。
スポンサーサイト


コメント

    コメントの投稿

    (コメント編集・削除に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)

    トラックバック

    この記事のトラックバックURL
    http://kubotahironobu.blog53.fc2.com/tb.php/579-82f6d754
    この記事へのトラックバック


    最新記事