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母の命日

2020年07月22日 14:03

母が旅立ってから何年が経過しただろう。
震災の年だったから、もうすぐ10年。

ようやく母に向かっても涙しなくてすむようになってきた。
命日でなくても、ふと思いついて線香をあげていた。
IMG_0006.jpg
今年は命日に金麦をお供え。
母はビールでなく、お安い淡麗が好きだったのだが、金麦でご勘弁。
線香が二本なのは、チョビちゃんと一緒に。
我が家に仏壇はないので、キャットタワーが線香台。

そう、ようやく母の事を書けるようになった。

母が体調悪いと言い出してから3年、医者に行くもどこも悪くないと診断され、息苦しいと訴えれば、精神的なものだと断定され、精神安定剤を処方されていた。
大きな病院へ行きたいから紹介状をお願いします。と言えば、どこも悪くない人に紹介状は書けないと言われ。
ついに倒れ、病院へ運ばれたら、末期の癌とわかった。
片肺がほぼ癌で埋め尽くされていてた。
それは呼吸苦しいでしょう。

あまりの酷さに裁判を
裁判は3年もかかった。
慰謝料は出たものの、家族が一番欲しかった医者からの詫びの言葉は得られなかった。

医者と弁護士は知り合いを持て!
と父親に言われていたことが、こういうことか、と思った。

癌は仕方ない、余命が2年でも3年でもかまわない。
癌だとわかっていれば、あそこまで苦しませることはなかったのに。
ただただそれだけが悔しくて、何もしてやれなかった後悔で、旅立った母と笑顔で話すことができずにいた。

戦争に行き、負傷して帰国して、何度も心配かけてしまった母親。
そんな不肖の息子を愛していてくれた母親。

ずーっと、危ない仕事辞めて教員になったら、、と言っていた母。
最後の病床で、ちょうど週刊誌に掲載された震災の写真を見せた。
写真を見た母が、酸素マスクの奥から「あなたがやりたいと言っていたこと、わかったよ」と言ってくれた。
最後の最後に少しだけ認めてもらえた気がした。

両親は僕が幼少期に離婚してしまい、母と一緒に過ごす時間は少なかった。
離れていたからこそ、愛は強かったのかもしれない。

母に会いたい。

世の中の欺瞞、自分を守る為には嘘をつく、人を貶める。
そんな世の中に
ちょっと疲れちゃったよ!と母に言ったら、なんと答えてくれるだろう。
そんな気持ちで迎えた命日だった。

そうそう、報告するのを忘れていた。
「おっかあ、僕、本を書いたよ」
「お母さんが離婚しちゃったから、一杯迷惑かけちゃったよね〜」なんて最後まで言っていたけど、
そんな経験があったから、今の仕事ができているって書いたよ。
幼少期の寂しさと苦労は無駄じゃなかったから。
そう報告した命日だった。

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