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岐阜新聞、杉原千畝

2017年12月22日 15:45

杉原千畝という外交官が外務省の命令に逆らってビザを発給し、6000人もの命を救ったという事実はしっていた。
しかし、その杉原千畝が岐阜県出身だとは全く知らなかった。

岐阜県武儀郡の出身らしい。
僕も何度か訪れたことがあるが、山間の小さな集落だ。

『杉原千畝 スギハラチウネ』という映画にもなった人物が岐阜県出身者ということで、岐阜新聞が連載を続けている。

岐阜新聞の真面目な記者が、その連載記事に久保田のことを書いてくれた。
掲載新聞が送られてきて、自分の記事を探したが、見当たらない。
あれ!と思い、再び探そうと思ったら、なんと!一面の記事だった。
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仕事がら、新聞に掲載してもらうことも多いが、その多くが国際面か地方面。
1面に掲載してもらうのは何年ぶりだろう。
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しかも、世界が知る「杉原千畝 」の連載記事とは、これほど名誉なことはない。
1面だと感心ない人でも、目をつけてくれるのがありがたい。

ナチスの目を盗んで逃げてきたユダヤ人たちが、ヨーロッパから逃れるために、日本への通過ビザを求め、領事館前におしかけた時。
千畝は「ビザを出してもいいですか。」日本の外務省へ問い合わせるが、帰ってきた電報は
「正規の手続きができない者に、ビザを出してはいけない。」

決して裕福でない家庭に生まれ、猛勉強して外交官まで上り詰めた千畝。
ビザを発給しユダヤ人の命を救うべきか、命令に従って外交官としての輝かしい道を守るべきか。

千畝は時間ギリギリまでビザを発給し続けた。
1947年、帰国した杉原を待っていたのは独断でビザを発行したことの責任による外務省からの解職。
外務省の命令に逆らったのだから、当然の処分。

よく年、杉原の許へ一人のユダヤ人が訪れてきます。
彼はボロボロになった当時のビザを手にして涙をこぼして杉原に礼の言葉をのべたらしい。

僕がジャーナリストとして本格的に動き始めたアフガニスタン戦争。
僕はNGOの人ではないが、「見えない難民」をほっておくことができず、借金までして難民を助けていた。
映画のそのシーンが岐阜新聞の記者を動かしたのだと思う。

自分自身がボロボロになってまで続けた難民支援。
2年後、僕が支援していた難民の故郷を訪れた時、難民の人が僕が作ったIDをパウチして大切そうに持っていてくれた。

外務省をクビになった杉原千畝。
ユダヤ人と再会した時の気持ちを思う。
杉原千畝の名誉が回復したのは2000年になってから。

今の日本を見ると第二の杉原千畝は未来永劫出てこないように思えてしまう。
そんな日本だからこそ、岐阜新聞は連載を一面で報じているのかもしれない。

帰省したら、八百津にある杉原千畝記念館を訪れてみようと思う。

本文中、敬称略。


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