戦場カメラマンとは。。

2014年05月30日 03:38

戦場カメラマンと言う言葉が流行ってはや数年。
毎年、何人もの若者が戦場カメラマン、もしくはフォトジャーナリストになりたいんですけど。。と
僕に連絡をしてくる。

僕は来る者拒ますの性格なので、意欲があるのなら、、とすべてを受け入れている。
が、しかし、残念な事に誰もこの道で成功していない。

成功とは、ジャーナリストとしてお金を儲けられるとか生活できるという意味ではなく、
現地に赴き、真摯な目で現状を見て伝えてくれる事。
(僕自身が生活できていないから。。)
最近の傾向で、一度僕と会って話をすると自分でも簡単にできると思う人が多い。
勿論、そんな簡単にできるわけはなく、つまづく、そこでもう一度僕に相談してくれたら良いのだが、
多くの人は「できる」という過信でもがいたり、挫折していく。

今日、そんな若者の一人と再会した。
たった一度、僕についてきて、ほんの少しシリアを覗いただけで自ら「戦場カメラマン」を名乗る彼。
ま、それは良い。

しかし、反政府側の意見しか聞いた事がない彼が、それが、さもシリア人の総意かのように講演で伝えてしまったり、FBに書いてしまうのは問題。

昨年、「それは良くないよ。本当に戦場カメラマンって名乗りたいなら、自分の力で戦場じゃなくてもいいから現場を取材してからものを伝えなさい」と言った。
その時、「分かりました」と言った彼の暴走は止まらなかった。
仲間内のジャーナリストからも「彼やばいよ」と何度も言われていた。

旅をできる、知らない土地でも友達を作れる、そして、性格も良い彼はちゃんとやれば大成すると僕は思うのだが、肩書きにあぐらをかき、ネット記事を引用する評論家になってしまっていた。

現場には行きたいんですが、取材費がなくて。。と言う彼。
僕と僕の友人が10万ずつカンパしたら現地に行く?と聞くと
彼の目がおよぐ。

たった一度だけでも、僕についてきてシリアを見た彼は戦争の怖さを実感している。
「今は。。怖くて、行けないです」と言う。
今はって事はいつになったら行ける?
無言の彼。
彼は正直者なのが取り柄。
シリアに行き、戦争の被害者を見て貧血で倒れてしまった彼は戦場カメラマンにはなれないと思う。

別に戦場カメラマンでなくても良い、意欲があり、異国の人を理解する気持ちがあればジャーナリストとしてやっていけば良いのだが、。

彼は戦場カメラマンにこだわる。
それは渡部君効果もあるのだが、若くして戦場カメラマン!というと有名になれるし、実力以上の仕事がもらえるからだと。そんな風に正直に言ってしまえるのが彼の良い所なのだが。。
しかも、「一回だけでも行ったら、その肩書きを利用した方が良い」と彼にアドバイスする人も多いらしい。

他の分野なら好きにしてもらったら良いのだが、ジャーナリズムの分野は例え若くても一言一言に責任が生じる。
同席していた友人に「久保田さんは何故怖いのに(戦場に)行けるのですか」と聞かれた。
そのとき僕は、うまく答えられなかった。
この時間になって、明後日の講演の準備をしながら、現地で撮った映像を見ていて、少し分かった気がする。

戦場、そこから逃れて来る難民、そんな現場は究極の悲しみの現場だと思う。
なのに、何故かそこには笑顔があり、愛が見える。
平和、と思われている日本では味わう事ができない感動も。
他の人は知らないが、僕は現場で何度も涙している。
それは悲しみの涙だけでなく、感動の涙も。

自分の目で見た、感じた事を伝えるのが戦場カメラマンのやりがいの一つではないかと、ふと思った。

僕に限らず、日本をベースにしているフリージャーナリストは間違いなく絶滅危惧種だ。
新たな若いジャーナリストが出て来てくれたら、日本の報道に対する価値観も変わるかも。と期待する。
彼が近い将来、ジャーナリストとして現地の事を伝えてくれる人になる事を切に願う。

久保田ショップ



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