ルーマニアの街並

2014年09月30日 22:13

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奇麗な配色の街並
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シティーホテルの前にウィークデイと週末の値段がデジタル表示されていたのが面白かった。



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ルーマニア

2014年09月30日 02:40

ルーマニアも初めて訪れる国。
ルーマニアはピースボートが停泊した場所の目の前に観光地が広がっている。
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ブルガリアからの出航

2014年09月27日 00:05

イスタンブールに続き、二度目の出航式。
港を出る時は毎回感動する。
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飛行機と違って、ゆっくりその国とのサヨナラができるのが船。
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夕焼けに見送られ、ブルガス港を後にする。










人生初の黒海

2014年09月25日 16:57

ブルガリアの朝はちょっと肌寒く、若い人達が水着を持ってきたよ〜!と話してくれたが、とても
水着を持って行く気にはなれなかった。
ところが、ビーチも水も奇麗。
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と、なれば泳ぐしかない。
どんな状態かは想像にお任せします。
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そして、出会ったばかりのピースボート乗客の若者達に砂に埋められる事に。。
ビーチで砂に埋められるなんて中学生の頃以来の経験。
ま、これも良しか。




ブルガリアのビーチへ

2014年09月22日 13:52

ピースボートの若者たちを探してブルガリアの街を彷徨う。
みんなビーチに行ったという噂を聞き、ビーチへ向かう。
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バス停を見つけ、バスでビーチへ。
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40分程バスに乗って黒海のビーチに到着。






ブルガリアの商店

2014年09月22日 04:18

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ブルガリアで面白い商店をみつけた。
どうも売り場の窓口が低いように見える。
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ちょうどお客さんがやってきた。
やっぱり低い。
長身のブルガリア人がかがんでお買い物をしていた。

ブルガリアにもネコが多い。
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店の軒先などあちこちにネコがたむろしている。
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そして看板もネコ。
この看板、港近くにあるカジノの看板だった。
ピースボートの寄港地滞在時間は短いので、勿論カジノに行っている余裕はない。
でも興味があるので、ちょっと覗いてみた。
ゲームセンターのようなスロットとルーレットが置いてあって、地元の人が4人程プレーしていた。
ブルガリアにカジノってあまりイメージがなかったが、街のあちこちにカジノがあった。

久保田弘信の作品ショップ




ブルガリア、ブルガス入港。

2014年09月20日 17:05

アルビルからイスタンブール、そして初の外洋船旅。
疲れと揺りかごのような船の揺れで熟睡。
朝、ふと気がつけば、ピースボートは既にブルガリアに入港していた。
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ブルガリアにもいましたニャ~!
ブルガリアは初入国。
中東諸国ばかり訪れている僕としてはとても新鮮。
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街を埋め尽くす、初体験のキルリ文字、読めそうで読めない。




イスタンブール出航

2014年09月19日 19:18

朝7時半に起きて朝食。
8時半のピックアップで港に向かう。
港までは車で15分程。
ピースボートのスタッフが出迎えてくれるが、イミグレで待たされ、ふと気がつけば10時すぎ。

乗船、チェックインを済ませピースボートスタッフとイスタンブール観光へ。
今まで取材の荷物が多くてお土産を買った事がなかったが、今回は船で日本まで帰るので割れ物、重いものを買う事ができる。
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昔から気になっていたトルコのランプ、絵柄が素敵なお皿を買った。

船には帰船リミットがある。
僕は乗船したばかりなので、避難訓練に参加しなければならなくて、18:30までに船に戻らなければならない。
夕方のイスタンブールはラッシュがひどく、ちょっと遅れ気味。
港にはピースボートの他に2隻の客船が停泊していて、セキュリティーチェックは長蛇の列。
18:30少しオーバーしダッシュで船に戻る。
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初めて出航式を経験し、日頃、陸で見ているエミノニュのモスクを船上からみつつイスタンブールを離れる。
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満月もピースボートを見送ってくれた。





タクシム広場へ

2014年09月19日 02:15

ピースボートに合流する前日、ピースボートが予約してくれたホテルはタクシム広場の近く。
久しぶりにタクシム広場を訪れてみた。
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夕暮れのタクシム広場。一時、催涙弾が飛び交っていたのが遥か昔の事のように人々が夕涼みをしていた。
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トルコ国民に内在する不満は決して解消された訳ではなく、また大きなデモが再発する可能性は高い。
僕たち観光客にとっての一番の難点は夜10時以降にお酒を買えなくなったこと。
お酒を扱うショップにな監視カメラがついていて、10時以降に販売すると罰則があるから売れないんだよ。
とショップの人に言われた。



トルコでのご飯

2014年09月18日 16:24

イラク北部アルビルでの食事は日本の人たちが想像するより充実している。
お金さえだせば、インド料理も中華料理も寿司さえも食べられる。
貧乏な僕は一度もお寿司は食べなかったが。。

そんなアルビルからトルコにやってくると食のバリエーションが数倍に膨れ上がる。
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トランジットで立ち寄った時に訪れたアウトレットセンターのフードコートでクフタを食べた。
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トルコでは日本封風のラーメンも食べる事ができる。
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勿論、ターキッシュコーヒーも

夜ご飯はホテルの近所にあるピザ屋さんのピザとビール。
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アルビルでもビールは飲めるのだが、トルコで飲むと何かが違う。
平和に見えても戦争が続いている国は空気感が違う。
僕はその国から出てきたが、そんな空気感の中で生活を続けなければならない人が沢山いる。




PTT(中央郵便局)へ

2014年09月18日 05:54

イラクで撮影した動画をEMSで送る為にシルケジにある中央郵便局へ向かった。
地元の人に聞きながら郵便局を探すが、何度も通り過ぎてしまった。
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郵便局があまりにもキレイな建物で、撮影したにも関わらず、郵便局だと思わず通り過ぎてしまった。

どの列に並んでいいのか分からないまま、列に加わったが、親切なお姉さんでスムーズに貴重な映像を日本に送る事ができた。
今日一番のミッションを終え一安心。

ふと見ると郵便局と併設して郵便博物館があったので訪れてみた。
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昔の切手や郵便の歴史が展示されてあり、パスポートを見せるだけで無料で拝観できる。

興味深かったのは昔のテレグラム装置。
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ピアノのキーボードを改造したテレグラム装置は一見の価値あり。

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イスタンブール再び

2014年09月17日 03:11

長年憧れの場所でありながら訪れる機会がなかったイスタンブール。
昨年、シリア取材に行く為に立ち寄ってから、あっと言う間に4回目の訪問となった。
市内のトラム、メトロの乗り方がわかり、今回は初めてメトロバスにも乗る事ができた。
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路線図にMBと書かれているメトロバス。
その名の通りバスだが、地上の一定区画の中を走る為、渋滞に巻き込まれる事なく走る事ができる。
しかも、停留所がちゃんと決まっていて路線図に書いてあるので、旅行者にも使いやすい。

前回、訪れた時、スルタンアホメット周辺でトウモロコシを食べる人を多くみかけた。
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今回は僕もトライしてみた。
集まって来たハトに少しだけトウモロコシをあげると、今度はスズメさんたちがやってきた。
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トウモロコシを食べ、砂浴びをするスズメさんが可愛くて写真を撮ってみた。
日本では糞害になると、ハトに餌をあげられない時代になってしまったが、イスタンブールではみなが餌をあげている。
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野良猫に餌をあげるのも当然のようで、イスタンブールには沢山のネコがいる。




アルビルからイスタンブールへ。

2014年09月16日 22:10

午前3時過ぎのトルコエアーに乗ってイスタンブールへ。

夜中のフライトなので、アルビル空港までのタクシーに一抹の不安があったが、流しのタクシーをすぐに止める事ができ、5000IDで空港まで行ってくれた。
僕としては本当に短い期間の取材。
それでも充実したクルディスタンでの取材だったと思う。

ピースボートに乗る事が決まって、乗船がイスタンブールからと決まったから訪れる事ができたクルディスタン。

イスタンブールに帰って来て、トランジットで宿泊したミッドマールホテルにチェックインしてシャワーを浴びる。

そこそこの覚悟を決めて訪れたアルビル。
イスタンブールに戻って来て初めてようやく取材が終わったと実感する。
僅か3時間少々のフライトで戦争をしている国から観光客が沢山訪れるトルコに出て来る事ができる。
命の危険がないトルコに来た事を実感したくて、うまく実感できない気分のまま眠りに落ちた。

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クルディスタン取材

2014年09月15日 16:14

イラク北部のクルディスタン取材の事はまだまだ書ききれない程、沢山のエピソードがある。
ひとまず、ここで打ち切り、日本に帰国後、改めてブログに書きたいと思います。
僕の取材としては決して長くない今回のクルディスタン取材。
短い取材期間に凝縮されたいくつもの経験ができた。

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ペシュメルガの前線で食事を頂いた。
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クルドの友人に砂漠地帯で記念写真を撮ってもらった。

この後、ブログはイスタンブール〜ピースボートへの合流と続いて行きます。





アルビルでプール

2014年09月15日 04:15

経済発展著しいアルビル。
日本も含め様々な国から外資が入って来ている。

理由は分からないが、僕の友人はかなりなお金持ち。
自宅からそんなに遠くない場所に別荘を建設中。
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入り口には何故か大きなトラが

そして、20メートル程のプールがある。
泳ぐ?と聞かれたら、泳ぎたい!って応えてしまう僕。
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水着ないけど、いい?
勿論!no problem.
まさかアルビルで泳ぐ事ができるとは想像していなかった。
泊めてもらっている事務所では水不足でシャワーも浴びられない程なのに。
急速な経済発展は貧富の差を生む。
ましてやアルビルにはシリア難民、モースル方面からの国内避難民が大量に流入している。
平和なアルビルに新たな混乱が生まれない事を祈る。



スレイマニア再び。

2014年09月13日 21:08

日本の円借款を使ったUNDPのプロジェクトを取材するためにスレイマニアに行く事になった。
縁あって、トルコ人の友人が車をだしてくれ、スレイマニアに連れて行ってくれた。

スレイマニアを訪れるのは11年振り。
10年振りに訪れたアルビルの発展振りを思うとスレイマニアも相当発展していると想像される。
3時間程で到着してたスレイマニア。
アルビル同様、高層ビル、高層ホテルが立ち並んでいてビックリ。
想像していたが、想像以上の発展振りだった。

スレイマニアは街だけでなく、人も変わっていた。
11年前、街を歩く男性の半分以上がクルドの民族衣装を纏っていたが、今回は10人に一人どころか20人に一人くらいの割合でしか民族衣装を纏っている
人がいない。
ちょっと寂しい気もするが、日本の着物と同じく、クルドの民族衣装は特別なお祭りや結婚式の時にしか着ない服となっていくのだろうと思う。

11年前に訪れた場所が全く分からないので、UNDPのローカルスタッフに聞いてみた。
「街の真ん中にサークルがあって、銅像がたっていて、四方へ道が延びている場所に行きたいんだけど」
僕が訪れた場所は、幸いにもUNDPのオフィスから徒歩圏内のようなので、UNDPの友人と共に街を散策しながら目的地に向かう。

11年前に訪れたサークルは変わり果てていて、銅像は案内板にヒビが入り、一つの銅像は傍らの空き地に放置されていた。
それでも懐かしくて記念写真。
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UNDPの友人の友人とも2ショットで記念写真。
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アルビルよりこじんまりしたスレイマニアは僕好みの街。
再び訪れる機会があるのか、それは何年後なんだろう?そう思いながらスレイマニアを後にした。

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国内避難民の暮らし。

2014年09月12日 02:33

アルビル市内26カ所に別れて暮らしている避難民は17万人を超える。
連日の猛暑も相まってその暮らしは非常に過酷だ。
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健常者でも過酷な暮らし、幼児や老人、病人には尚更過酷なものとなる。
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避難民の暮らしを取材に行った時、向こうから手招きして僕を呼ぶ家族は、悉く生活に困窮している家族だ。
手招きされ、テントを訪れてみると、肝臓を手術したばかりの青年がサウナのような暑さのテントの中にいた。
母親は話す「3日後には抜糸をしなければならないけど、抜糸してもらうお金がないから息子を放置せざるを得ない」と。
話を聞くと、手術代をサポートしたのは日本のNGOジムネットのようだ。
手術代だけでも大変なので、その後までサポートしきれないのが現状だと思う。
なんともやるせない気分でテントを出ると、他のテントの人がまた手招きする。
間違いなく球場を訴えたいんだろう。

重い足取りでテントに向かう。
そこには新生児がいて、猛暑のせいか、背中一面があせもができたように赤く腫れ上がっていた。
なんとかしてあげたいと思いつつも、滞在費すらギリギリの僕には何もできない。
「ごめんなさい。僕にはこの現状を日本の人達に伝えて、少しでも支援のお金が集まるようにする事しかできないです。でも精一杯伝えます」
それしか言えなかった。
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戦争なんか良い訳がない、何故戦う。
クルドの人達はアルビルに避難して来た人達の悲惨さを知っている。
自分の家族が同じ境遇に陥らない為には命をかけて戦う。
それ故か、前線には老兵士が多い。



砂だらけの老兵士。

2014年09月11日 03:45

モースルクライシスの後、ペシュメルガはかつて兵役に付いていて引退した兵士をリクルートしている。
武器も十分ではなく、自腹でAKやM16を買って前線にやってくる兵士も多い。
前線の砂漠の中、砂まみれの老兵士に出会った。
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国をクルディスタンを守る為にやってきたと笑顔で語る老兵士。



アンフェアな戦争

2014年09月09日 06:39

戦争そのものが間違いなく悪であり、勝てば官軍。
となれば、フェアな戦争など存在しない筈。

イラク北部の街モースルは僅か一日にしてISISに占領されてしまった。
その後、ISISは進撃を繰り返し、アルビルまで30キロ弱のところまで迫って来た。
もしかしたら、アルビルさえも陥落かと思っていた矢先、米軍が空爆を開始した。

地元クルディスタンの人達はペシュメルガは強いから大丈夫だ!と繰り返す。
モースルは守る気がなかったかもしれないが、アルビルまで30キロという近郊まで進撃を許してしまったのは間違いない事実。
ところが、米軍が空爆を開始すると形勢は逆転。
ペシュメルガがモールスまで30キロ弱のポイントまでの占領地を取り返した。

ISIS側からすれば、ペシュメルガと対峙した途端、自分たちが持つ武器では届かない高所にやってきたF-18から空爆を受けてしまう。
こんな戦争に勝てる訳がない。
ISISがやってきた事は決して許せないし、偏った報道があったにせよ、アメリカ人のジャーナリスト2人の首を切って処刑したのは間違いないし、多くの一般人を殺害したのも間違いない。
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それでも、それでも前線に転がっていたISISの死体を見た時は胸が痛んだ。
ISISの思想はどうであれ、そこに身を投じて命を失った人を足蹴にはできない。

僕はISISの人と会った事がない。
自分の元に入って来る情報だけで判断している。
恐らく99%僕が認められない人達だと思う。
それでも1%自信がない。

かつてアフガニスタン戦争が起きた時。
日本のメディアは北部同盟と共に従軍取材をした。
タリバンは北部同盟と対峙した途端、米軍による空爆を浴び、敗走せざるを得なかった。
僕は97年からの付き合いがあったため、日本人で唯一(多分)タリバンの本拠地カンダハルに入った。
日本人でタリバンが良いと思っている人は殆どいないと思う。
彼等の原理主義の行き過ぎた部分があったが、僕が会ったタリバンは信頼できる連中だった。

今でこそ言えるが、タリバンに拘束され、ジャラジャラバードの基地に連れて行かれた時、正直これはいかんな〜と思った。
途中オアシスがあり、ハイラックスに乗った4人の兵士が車の中にAK47と手榴弾を置いたままお祈りに行ってしまった。
勿論、車にカギがついたまま。
パキスタンまでの道は一本道だし、運転には相当自身がある、いざとなれば銃くらい撃てる。
車を乗っ取って逃げようかどうか迷った。

別に僕を縛る事もせず、武器を置いたままお祈りに行ってしまう連中が悪い奴らだとは思えなかった。
ジャラジャラバードの基地でコマンダーに事情を話すと、写真はダメだがカブールを見せてやると言ってカブールまで連れて行ってくれた。

ISISの状況が昔のタリバンに似ていて、ちょっと考えてしまった。

アフガニスタン戦争も、イラク戦争も、今回のISISとペシュメルガの戦闘も、米軍が関わると大人と子供のケンカのごとく、圧倒的な力の差が生まれてしまう。

何故23年間もアフガニスタンが内戦をする事になったのか、何故サダム・フセイン独裁国家としての強健な力を持つ事になったのか、ISISが何故生まれてきたのか。
すべてにアメリカが関与している。
そして、それぞれの戦闘にも関与している。

メディアが伝える事と現場で起きている事には必ず温度差がある。
その温度差を少なくするのがジャーナリストの仕事だと思うのだが。。
無事帰って来れるのなら、ISISにも会いたいと思う。

久保田ショップ


ペシュメルガの最前線。

2014年09月08日 01:00

ISISとペシュメルガの最前線を2カ所訪れた。
先のブログにあるザルティック山の前線はある面、メジャーな前線。
速報、9月5〜6日ペシュメルガの戦果。
ペシュメルガのメイン部隊が米軍との共同作戦でISISを追いつめている前線。
それ故ジャーナリストの取材も多い。

一方僕が訪れたもう一つの前線はペシュメルガの部隊も小さく、指揮官はかなり歳とった人だった。
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この前線を訪れた海外のジャーナリストは僕が初めてだったらしい。
目立たない、普通の民兵に近いペシュメルガの兵士がいる前線。

一方で、ザルティック山をISISから取り返した事で多くのジャーナリストが取材に訪れる前線。
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ペシュメルガの人達はとても気さくで、訪れた日本人ジャーナリストを珍しく思い、一緒に写真を撮って欲しい、と言う人が後をたたない。

兵士が持つ武器、前線の派手さを考えるとザルティック山の前線の方が危険度が高いと思われがちだが、実は真逆だ。
ザルティック山を訪れたのはペシュメルガが取り返してから1日後。
インタビューの最中にも何発かミサイルが着弾しているが、正直、当たる気配は感じない。

目立たない前線は川を挟んで対岸にISISが展開している。
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橋自体はISISが中央部を破壊したため、車で走行する事は不可能だが、人が通る事はできるし、川を渡ってくる事はとてもイージーだ。
双眼鏡を借りて対岸を見ると人影こそ確認できないが、車が移動しているのが確認できる。
動くISISを見るとさすがに鳥肌がたつ。

僕が前に出過ぎるとISISのスナイパーが狙っているからさがれ!と言われた。
川の対岸からの距離を考えると3キロ近くあり、そうそう当たる距離ではないのだが。

こちら(ペシュメルガ)はどこにスナイパーを配置しているのですか?と聞くと、スナイパーライフルがないから、こちらにはスナイパーがいない!という答えが帰って来た。
橋のたもとにはイラク軍も展開していたので、イラク軍にスナイパーがいると信じる。

かつてロバートキャパが言った。
「最前線は危険度が高い割にそれらしい写真が撮影できない」と。
キャパが最前線で撮影した写真は使われず、パラシュートの降下訓練の写真が使われた。

時が流れても、現状は変わらない。
現場にいるジャーナリストにとって鳥肌が立つような場所でも、撮影された写真から危険が感じられない事が多々ある。



速報、9月5〜6日ペシュメルガの戦果。

2014年09月07日 05:04

9月5日から6日にかけてペシュメルガは大規模な軍事作戦を行った。
今回の作戦でISISが占領していたザルティックという山を奪還した。

一時期アルビルまで30キロ弱の所まで進行してきたISISだが、米軍の支援空爆が始まってからは敗走の一途を辿っている。
今回訪れた最前線はモースルまで30キロ弱の場所。

前線には次なる軍事作戦の為に戦車が投入さはじめている。
近々に米軍と共同の大きな作戦が行われるだろう。

最前線は戦勝ムード。
訪れたのは地元クルディスタンのテレビ局、スペインのテレビ局、アメリカのジャーナリストではないちょっと怪しいグループ、そして、日本からフリージャーナリストの僕。
前線の司令官から昨日の作戦の成果が報告され、ジャーナリストが集まる。
25人のISISを殺し、数十台の車両を拿捕したと。
オフィシャルコメントでは語られなかったが、11人のペシュメルガ兵士が亡くなったそうだ。

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インタビューが終わるや否や、一人のコマンダーが近づいて来て、一緒に記念写真と撮ってくれ!
と向こうから申し入れて来た。
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アルビルさえ陥落するかと思われた戦況が米軍の空爆支援によって一気に逆転した。
ペシュメルガの連中は僕の安全に対してビックリするくらい気を遣ってくれる。
そして、とてもフレンドリーで共感が持てる。

しかし、道ばたに転がったISISの死体を見た時、なんともやるせない気分になった。
この先もまだまだ犠牲者が増えるだろうし、最終的にモースルを奪還する時には市内にいる一般人が盾にされる可能性が高い。
また、戦争の理不尽さを痛感した。

つづく

久保田ショップ




ライフライン

2014年09月06日 18:09

経験して初めて本当に分かる事があると思う。
アルビルは急速な発展に対してライフラインの整備が追いついていない。
10年前程、酷くはないが、未だに毎日のように停電する。

水も給水時間が決まっていて、いつも水が出るわけではない。
それ故、各家庭にはタンクがあって、水道が使える時間にタンクに水を貯めておいて使う。

運悪く、水道が使える時間にお家にいないと、水を貯める事ができない。
水が使えない事がどれほど大変か、僕自身が経験するのはアフガニスタン以来だ。

シャワーどころか、手も洗えない、勿論食器洗えない。
そして、一番困るのはトイレ。

電気と水、どちらの必要だが、電気は停電中ロウソクでも代用可能だが、水は手に入らないとどうしようもない。
日本で生活して、水を大切に。
そんな心がけをしても、本当に水に困った経験がない人の節水は本当の節水ではないかもしれない。

戦後の大変な時期を生きて来た昭和初期の人、その次の世代に生まれた昭和中期の僕たち、そして日本が恵まれ、何でも手に入るようになってから生まれた平成の人達。
それぞれに、生活に対する感覚が違うと思う。

それは「戦争」に対しても同じだと思う。
自分が自分の仲間達が戦争に参加した世代。
自分の父親達が戦争に参加した世代。
そして、戦争は歴史の1ページとして認識している世代。

経験していない事を疑似体験させてくれるのが「情報」。
その情報の送り手たるジャーナリストが少なくなると、「大変な事」に対する認識もうすくなってしまう。

僕自身がお金持ちジャーナリストで、高級ホテルに泊まっていたら、水の有り難さは分からなかったと思う。
水の有り難さを実感した僕。
そのブログで水の有り難さを少しでも思ってもらえたら有り難い。

久保田ショップ


アルビル市内の教会(避難所)

2014年09月06日 15:26

アルビル市内には沢山の教会がある。
僕が滞在しているアンカワ地区だけでも10分程の徒歩圏内に3つの教会がある。
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教会ごとに避難民支援の方法がちがったり、運営方法がちがったりしていて興味深い。
二つ目に訪れた教会は大量の冷凍鶏肉があって、夕ご飯に鶏肉が食べられると言っていた。
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避難所の人達にカメラを向けるのはあまりいい気分ではない、、筈だが、時には多くの人達が集まって全員の写真を撮ってくれ!なんて事になったりもする。
8月の初旬に避難して来て、僕が訪れたのが8月末。
避難民の人達もようやく落ち着き始めた頃だったと思う。
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避難所となっている教会の周りにはマーケットができていく。
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小さな子供も僕のカメラの前でポーズ。
大変な状況から逃げて来て、大変な状況で暮らしている避難民。
なのに、その表情は全体に明るい。
しかし、そうでない人もいる。

つづく






建設途中のビルで暮らすIDP

2014年09月05日 14:00

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IDPの人達が建設途中のビルで暮らしている。
安全かといえば、決して安全とは言えない場所。

しかし、17万人ものIDPが避難してきている状況下で、少しでも使える建物を使うしか方法がないのが現状だ。
柵もない、階段もちょっと足を踏み外せば下まで落ちてしまう。
そんな場所を子供達が走り回っている。

ビルの避難所には共同の炊事場が二カ所あった。
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日常生活の中で使っている水、ガス、電気がいかに貴重かと思う。
僕が滞在しているアルビル市内でさえ、今日も水がない。

避難所はかなりシステマティックに運営されていて、避難民の中からボランティアで配給をする人、食事をつくる人が発生している。
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大鍋で食事を作っているシーンを撮影させてもらった。
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食事を作っているこの家族。
昔イラクの首都バグダッドに住んでいたそうだ。

バグダッドの治安が悪化し、仕方なくモースルに移り住んだ。
モースルも決して安定した場所ではなかったが、6月に突然ISISに占領されてしまい、着の身着のままでアルビルに避難してきた。

今と比べたらサダム・フセインの時代の方が良かった。
そんな言葉があちこちから聞かれる。

大量破壊兵器を保持しているという疑惑で始まったイラク戦争。
英米による占領政策は失敗に終わり、宗派間の対立と治安の悪化だけを残してしまった。

この家族に限らず、多くのイラク人が、その人生の中で二度、三度と避難生活を送っている。
その原因を作ったイラク戦争。
その戦争を支持した日本にも責任がある。

今、イラク北部のいくつかの都市で日本のNGOが難民、避難民支援をしている。
彼等の活動が唯一の償いかと思う。
日本ではあまりニュースがなく、多くの人が知らない現状だが、遠くの国の無関係な事件ではないと知って欲しい。

久保田弘信の作品ショップ



モースル方面からの国内避難民2

2014年09月05日 01:30

避難民の人達はアルビル市内にある26カ所の避難所に振り分けられて避難生活をしている。
8月6日に避難民が大量に押し寄せた。
8月末になっても避難民はまだやってきている。
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グリーンのナンバープレートはモースル。
10年前のアルビルでは黒(バグダッド及び南部地域)、グリーン(モースル)の二つのナンバープレートが警戒されていた。

セントジョーゼフ教会の敷地に収まりきらない避難民は教会裏にある建設途中のビルで暮らしている。
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難民も国内避難民も一番の問題は水。
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都市部に避難していて、近所に水道があるとはいえ、1000人を越す人達の毎日の生活用水を確保するのは至難の業。
僕が泊めてもらっているアルビルの事務所でさえ、何度も水が足りなくなってシャワーはおろか、トイレの水さえ足りなくなっている。
勿論、停電も毎日。
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建設途中のビルには大きなウォータータンクが用意されていた。
ここでも水汲みは子供の仕事。
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水は重い。
どこから持って来たのか、運搬用の一輪車(ネコ)で水を運んでいた。



モースル方面からの国内避難民

2014年09月04日 22:13

モースルがISISに占領された事によって多くのIDP(国内避難民)が大量に発生している。
その数は75万人を超えると言われている。

クルディスタンの中心都市の一つアルビルにも17万人を超えるIDPが避難してきている。
4月に訪れたセントジョーゼフ教会。
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サダムフセインがキリスト教徒を北部に追いやるために作ったと言われている。
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ピラミッドのような形の教会に入れてもらい、上に登らせてもらった。
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その教会がIDPの避難所になっている。
北部から避難してきたキリスト教徒がアルビル市内にあるあちこちの教会で避難所暮らしをしている。
セントジョーゼフ教会には最初640家族が避難して来たらしい、現在はあちこちの避難所へ移動していって、250家族、およそ1500人が教会内で暮らしている。
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一つ一つのテントは大きめだが、3家族15人以上が一緒に暮らしている。
連日50度近くになる猛暑の中でのテント暮らしがどのくらい大変か想像できるだろうか。

僕が宿泊させてもらっている事務所は度々停電する。
停電してエアコンが止まると暑くて寝てられないくらい。
疲れても日中はテントの中でお昼寝など不可能と思える。
大変な状態が続いている。

久保田ショップ


イラク取材も佳境

2014年09月04日 08:30

いつもいろんな人に助けられている。
今回も多くの友人達の協力で取材のセットアップができた。

日本でバックアップしてくれた友。

イラクで助けてくれた友。

遠くの国にいながらも僕の取材を応援してくれた友。

僕一人の力は微々たるもので、皆さんの助けがあってこそ、僕が現場に立つ事ができています。

皆さんの応援に応えられる取材結果を持って帰れるように頑張ります。



ダルシャクランの家族、写真でつなぐ。

2014年09月04日 01:00

ダルシャクランキャンプには気になる家族がいた。
15人という大家族のお家。
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イスラム教の国々では大家族が多い。
しかし、その殆どは奥さんが2人または3人いての大家族。
4月に訪れた時に出会った家族はお母さん1人で14人もの子供を生んだ大家族。
ところが、お母さんが持っている写真に写っている長男がアサド政権側に拘束され、保釈金を払わなければ殺されてしまうという状態だった。
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しかも、お母さんは新たな命を身ごもっていた。
「生まれ来る命も大切だけど、長男を見殺しにはできないから、私はシリアに行く」と話していた母。

その家族と再会できた。
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お父さんは働きに出ていていなかったが、新たな命が過酷な環境の中育っていた。
お母さんも子供達も僕を覚えていてくれた。
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長男はまだ無事だそうで、渡航費だけで10万円程かかるが、お母さんはシリアに行きたいと話していた。
数百万円にもなる保釈金は僕たちの手に負えるものではないが、長男の無事を祈りたい。

この家庭にはには新たな赤ちゃん以外にも新たな家族が増えていた。
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迷いこんで来た子猫に餌をあげたら、住み着いてしまったらしい。

難民生活をしていても心安らぐ一つとして、ネコを飼うのも良いと思う。
日本ではペットを飼っていると生活保護を受けられないが。。

ジャーナリストとして同じ場所に行っても儲けにはならない。
が、同じ場所、同じ家族に再会するからこそ分かる事もある。

久保田ショップ





ダルシャクランキャンプの子供達

2014年09月03日 16:37

半袖の腕にあたる熱風が火傷しそうなくらい熱い。
日本なら熱中症の危険があるから、今日の体育の授業はお休みです。
ってなりそうな気温。

しかし!
シリア難民の子供達は炎天下、帽子も被らず外で遊んでいる。
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暑さには強い僕が30分以上外にいれないな〜!と思う程の暑さ。
赤ん坊までが外で遊んでいる。
なんというタフさか。
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日本人の誰もが想像できないくらいの過酷な環境下。
子供達は笑顔を見せてくれる。






BBCニュースより、イスラム国〜アフガニスタンまで

2014年09月03日 15:00

イラク北部のアルビルでBBCニュースを見ている。
連日トップニュースはやはりイスラム国。
シリア、イラクで戦闘を繰り返すイスラム国のニュースが多い。

そして、今日。
日本のニュースが入って来た。
デング熱のニュース。
日比谷公園の映像が入り、第二次世界大戦後初めて日本でデング熱が流行し始めていると。

その後ニュースは中国、オーストラリアの大雨、水害のニュースへ。
ニュースを見るのをやめようかと思った時、今度はアフガニスタンのニュース。
アフガニスタン北部で戦闘を続けるヒズビ・イスラミのニュース。

世界のニュースを網羅しているBBCはすごい。
日本の亜熱帯化、各地の自然災害。
あちこちでオバカな殺し合いを続ける人間に地球が怒っているかのように思える。

主体的に動かなければ、そんな世界で起きている事の何十分の一の情報しか得られない日本はやはり残念な国だと思う。
一日の情報摂取量を考えると、やはりテレビから自動的に流れて来るニュースの接種しやすさは他のメディアの何十倍ものイージーさがある。







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