沢山の母達。

2011年07月31日 07:32

おばさま達との九州ツアーが無事終わった。

宇佐神宮は御神輿発祥の神社だそうで、本殿にあがり、お祭りに使う御神輿を見せてもらった。
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福岡では修学旅行の撮影でしか訪れた事がない太宰府天満宮を訪れた。
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いつもは撮影で駆け抜けるようにしか見れない天満宮をゆっくり見て、参道で梅ヶ枝餅を食べた。

湯布院ではおばさまが下駄をプレゼントしてくれた。
できるおばさまで「久保田さん身長高いですよね~何センチ?でも足は小さそうですよね~、何センチ」
とさりげなく僕の足のサイズを確認してくれていた。

太宰府では母とほぼ同じ歳の違うおばさまがお昼ご飯をごちそうしてくれた。
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母が急逝したため、撮影をお断りしようかとも考えたが、一度引き受けた撮影はお断りできない。
心が晴れない気分もあったが、撮影に行ってよかった。
二泊三日の滞在中「新しい息子ができたわ」などと言ってもらい、多くのおばさま方に優しくしてもらった。
福岡空港では僕のカメラバックにお土産を押し込んでくれるおばさまがいたり、千円札を二枚握らせてくれて、
「これで夕ご飯お食べなさい」と言ってくれるおばさまがいた。

母は逝ってしまったが、新たに母のような人達に巡り会えた。
一人暮らしをしているおばさまも多く、「いつでも遊びにいらっしゃい」と言ってもらった。
有言実行の僕は近いうちに遊びにいくつもりだ。


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母の家、居間の戸棚。

2011年07月27日 00:44

母がいなくなった母の部屋はまだ母のにおいがしていた。
丑三つ時から日が昇るまで部屋を片付けた。

時間が時間だし、幽霊になってでてきてくれても嬉しいんだけど、トイレをあけた瞬間に出てきたら流石に大声出しそうだから、出てくるなら座布団に座ってでてきてねー!などと独り言を言いながら片づけをした。

母の家を整理していて、戸棚を開けたら写真集3冊と過去の掲載誌がたくさん出てきた。
写真


せっかくプレゼンとしたランチョンマット(ドバイ土産)、羽根布団(中国土産)は勿体無いからって封も開けずにしまってあった。

最後の最後まで昭和の人だった我が母みどりさんだ。
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千葉での写真展、スポンサー募集。

2011年07月23日 14:53

9月5日から10月2日まで千葉県いすみ市の水彩ギャラリーにて長期間写真展を開催します。

9・11から10年を向かえる今年。
残念な事に日本ではアフガニスタンのニュースは殆どなくなってしまいました。
終わっていないアフガニスタン、イラクの混乱、その中で強く生きる人々の姿を写真展を通してみて頂きたいと思い写真展を企画しました。

9月11日を含む期間、10月2日まで長期間の写真展です。

写真展開催の為にプリント額装にかなりの費用がかかります。

そこで写真展開催のためのスポンサーを募集します。
企業、団体、個人は問いません。
一口1万円から、2万円以上頂いた方でご希望の方には写真展で使用したA3ノビ額付きの写真をプレゼントしたいと思っています。
と、いいつつ、名前までは表記できませんが、100円でもスポンサーになって頂ける人、勿論、受け付けます。

スポンサーになって頂いた方のお名前は期間中、会場の挨拶文に表記させて頂きます。

ご協力頂ける方は下記までご連絡お願いします。

スポンサー募集の連絡先
chobikun5@hotmail.com

終末医療の難しさ。最終回。

2011年07月22日 21:05

そして、15日。
ついにみどりさんが意識を無くした。
夜まで頑張れば、銀行の仕事を終えた彼女が東京から飛んできてくれるのに。
痛み止めが外され、みどりさんは殆ど機能しない肺に全身で呼吸を続けていた。
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奇跡が起きた。
19時過ぎ、再びみどりさんが目をあけ、僕たちの呼びかけにも目の動きや、かすかな手の動きで答えてくれた。
20:30東京から彼女がやってきた。
みどりさんは彼女を認識した、父も来た。
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意識が幾分回復した事で体の痛みも感じるようになったらしい。
僕には曖昧にしか分からなかったが、付きっきりで看病していた妹は声が出なくなった時の為に指先だけで合図を送ってコミュニケーションを取れるようにしてくれていたようだった。

意識が少し戻って本人が痛がっているようなので痛み止めをお願いしたいのですが。
と話すと「もう片付けちゃいましたからね~」

第三者からは殆ど意識がないように見えるだろうし、この状態で痛みを感じるのかどうか分からないだろう。
しかし、妹が言った通り、みどりさんは殆ど動かない指でお腹を指した。
親子二人が決めた「痛い時」を表す合図。

なんとか痛み止めを再び入れてもらった。
時間がかかるし、どうせ先がない人への治療行為が面倒なのはよくわかる。
後回しになってもいい。「もう片付けちゃいましたからね~」でなく、「準備しますからお待ちください」と言ってほしかった。

家族全員が再び意識を取り戻したみどりさんとお話できた。
痛み止めが効き、再び目を閉じたみどりさん、後はお迎えがくるのを待つばかりだ。
みんなかなり疲れていたのでそれぞれ、家に帰った。
午前3時過ぎ、いよいよかもしれないと病院から電話をもらった。
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昨晩、お別れしたからもう心残りはない、と思いつつも、その瞬間に立ち会えるのなら目の前で送ってあげたいと思い、再び家族が病院に集まった。
「もう、楽になっていいよ」。と家族が話しても、みどりさんは最後の力を振り絞って呼吸を続ける。
もう、感覚はないだろうが、苦しそうな母を見続けるのは辛いし、本人も辛いと思う。
まだ母が元気な頃、「私が入院して意識がなくなったら延命治療とか一切いらないから、あなたが管を抜いてね」
と言われていた事を思い出した。

みどりさんが逝きたくても逝けない状態にしているのは昇圧剤だ。
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夜勤の看護士に「できたら点滴もう止めて頂きたいのですが」とお願いしてみた。
夜勤のドクターに相談してきます。

結果はやはり無理だった。主治医の先生とは延命治療はしない方針で意見が一致しているんですが。。。

夜勤の看護士とドクターに最終的な責任をかぶせてしまうのも申し訳ないので、苦しそうなみどりさんを病室に残し、病院の目の前にあるホテルに戻った。

朝日が昇り、再び病室へ。
ここからは一部、以前のブログに書いた内容ですが。

病室の中からピンポン、ピンポンとアラームが聞こえる。

今度こそお別れを覚悟して入室すると、昇圧剤の点滴がなくなったアラームだった。
しばらく待つがナースが来る気配なし。

昨晩も昇圧剤の点滴はもうやめてもらってもいいです。とお願いしたくらいだし、多少うるさいけど、このまま待つ事にした。

時が流れ、ナースが来てくれた。
点滴を替えよとしてくれたので、「追加はなしでいいですよ」と言う。

案の定、やめるのはむつかしいと説明してくれた。
主治医の先生がいてくれたのが幸運。
倫理的には難しい、命をつなぐ方向とは逆向きになる行動を許可して下さった。

もし、どうしても許可がおりなかったら、病室でつまずいて電源を抜く覚悟をしていた。
母の最後の願いをかなえる為に。

この10日間、終末医療の難しさを実感し、病院のスタッフに迷惑をかけたり、うまくいかない事も多々あった。
最後に面倒を見てくれた主治医の先生がこの先生で本当に良かった。

点滴の追加をやめて30分程。
我が母、松本美登里は静かに息をひきとった。
みどりさんが息を引き取った後、入院した時にみどりさんを見てくれた看護士さんが来てくれた。
主任クラスの看護士さんに今までの事を色々と話した。
看護さんは一生懸命涙をこらえながら、「必ず次にいかします」。と言ってくれた。

生まれて初めて入る霊安室。
お迎えの車が着く直前、誰も見ていない時に、主治医の先生が一本の線香をあげてくれた。
松本さん(母)とも僕とも違った形でお会いしたかった。「また是非会いましょう。活動を応援しています」と言ってくれた。
お迎えの車に乗り込んだ時、主治医の先生と看護士さんが見送ってくれた。

終末医療という難しい現場で色々な事があった。
僕としては、この病院にお世話になって良かったと思える最後だった。

高齢化社会と高次の医療技術によって「終末医療」の問題はこれかどんどん増えてくると思われる。
最後の時間をどう過ごすのが幸せなのか、人の数だけ答えがあると思う。
幸せの方向に向かえる日本の医療であってほしいと切に願う。
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fin

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友の存在。

2011年07月22日 15:03

久しぶりに東京に帰って来た。

結婚式に参列はできなかったものの、ご祝儀をくれたダーツ仲間に少しでもお礼がしてくて我が家での夕食にさそった。(お礼の為に誘ったのに、PCラックの組み立てを手伝ってもらってしまった)。

初めて顔を会わせたのは僕がダーツを始めた2年ちょい前。
親しくなったのはこの一年。
彼には引っ越しの時もお世話になった。
過去ブログ

夕食を食べ終わると、「Pちゃんも色々と大変だったね、これ!」と言って「御霊前」なるものを頂いてしまった。
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ヨッチンは数年前に親父さんを亡くし、葬式その他の大変さを知っている。
決して裕福ではない、それどころか親父さんの後を継ぎ大変な生活をしている。

人は自分に余裕がある時には人に優しくできる。自分に余裕がない時に人に優しくできる人はすごいと思う。
自分が逆の立場だったら、付き合いも短い友人にそこまでの事ができるだろうか、と自問自答する。

冠婚葬祭に詳しくない僕は「香典」は知っていたが、「御霊前」は良く分からなかった。

「御霊前」という表書きは宗教を問わず、比較的どの宗教にも使えるため、喪主・喪家の宗教がわからない場合にも用いることができます。
上記のような事らしい。

若くして親父さんを亡くしたヨッチンだから僕の痛みが分かる、葬儀の大変さが分かるのだろう。
今頃になって「ご祝儀」や「香典」や「御霊前」が何故存在するのか分かった。

人生の転機になる出来事、個人の力だけで乗り切るのは大変。
自分が助けてもたって初めて実感できた。
今回、母の事があり、遠くの友やしばらく縁がなかった友、お会いした事がないネット上での友、多くの人に助けられた。
事があれば僕が貧乏で心にゆとりがない状態でもまわりの人を助けてあげようと思う。
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終末医療の難しさ。パート3

2011年07月22日 04:21

7月14日木曜日
昨晩、みどりさんの所に来てくれた看護士さんがちょっと怖かったそうだ。
寝たきり状態で体が痛くなる、頭の場所を変えてもらった時、
普通なら「このポジションでいいですか~」と聞いてもらえるのだが、頭がベッドにあたる状態のまま放置されてしまったそうだ。
しかも、「うまくしゃべれないなら呼ばないで」と言われたようで。
夜勤のナースは2人、オペもあって忙しかったそうだ。
勿論、生き死にの状態の患者さんが優先されるべき。
病院の体制として夜勤のナース不足が問題なのかもしれない。

この事件をきっかけに美登里さんは命綱とも言えるナースコールのボタンを押す事ができなくなってしまった。
殆ど声がでない状態で買い物にでかけた僕に電話がかかってきて、病院にかけ戻る事が何度もあった。

前回お話した時に「何かあったら意見箱に書いて入れて下さい」と院長先生が言ってくれていたのを思い出した。
ちょうど、お昼すぎに院長先生がいたのでお話してみた。
僕は「殆どのナースさんがよくしてくれていて、たまたま忙しい時にぞんざいな対応になったんじゃないかと思います、そもそも、医療従事者を志す人に悪い人がいるわけないので、、、」


院長先生は「うちは急性期医療を扱っていて夜勤は手一杯になる事も多々ある。。」
「看護士に指導はしていきますが、今日の明日ですぐには変われない、しかも、10のうちの1のミスを責めると看護士が泣いてしまう」。

え?美登里さんは後何日生きられるか分からないのに、今後も同じような対応があったら困ってしまう。

「それをするのがあなたの仕事でしょう!」と切れたいのをこらえて、「ご存知の通りうちの母はもう先が長くないです、できるだけ心配させず、できるだけ笑顔でいられる時間を長くしてあげたいので、よろしくお願いします」と話した。

残念な事に院長先生が声をあらげ「あなたもマスコミの人間なら病院側の悪い所だけを言うんじゃなくて。。」
「そんな事言ってないですよ親切に説明してくれる看護士さんが殆どだし、僕たちではできない事をしてもらっているので感謝しています」と言っても、「私にはそんな風に聞こえないです」と大声で話すものだから病室から妹が出て来た。

病院の院長という立場の人が患者のいる病室の前に大声で切れるように話すのが僕には信じがたい行為だ。
権力と立場のある人はすぐに名誉毀損と言われたりするし、そんな事言っていない!と言われてしまう。
ジャーナリストとしての今までの経験が自然に院長先生との会話を録音させていた。

院長先生は「マスコミの人間なら」と切れたが、僕はマスコミの人間として病院を取材しているのではなく、一人の患者の肉親としてお話しているんだけど。

現場には結婚式につき合ってくれた銀行員の彼女がいた。
「急に改革できなくても、対処しますっていうよね~。銀行でお客さんにクレーム付けられたら、お客さんに否があっても謝るよ、お医者さんはやっぱり上から目線だよ」と悔し涙を流していた。

もう一回トラブルがあったら僕がみどりさんを抱っこしてでも他の病院へ移るつもりでいた。
が、実際は病院を移るなんて事が簡単でないと思っていた。
改めて終末医療の難しさを実感した。

とPCに書いていると、近々にお父さんを亡くしたナースが来てくれた。
自分が勤務する病院で末期がんのお父さんを亡くしたそうだ。
「こんな所でお話するのもなんですけど、身内を亡くして、改めて患者さんやご家族の方の気持ちが分かります」
と話してくれた。
「松本さん、また来ますからね~、イヤって言っても来ちゃうから、隣に寝ちゃいますよ~」と。
病院の看護士に対して不信感で一杯だったみどりさんが、笑顔で手をふっていた。
残念な事にこの素敵な看護士さんとみどりさんが再び会う事はなかった。

凄いナースがいてくれた。家族で「ナースの指名制度があったらいいのにね~」。と話した。
今回はあまりにも時間がなかったが、本来末期がんの患者さんは病院じゃなくてホスピスに行くのがよいのかもしれない。

相変わらず主治医の先生は良い対応をしてくれていて、病状の説明をしてくれた。
これも仕事柄か、深刻な内容を聞かされているのに僕の目は病院のPCのナースが書いたコメント欄を見つけてしまった。
その一文には「院長とやり取りがあり、長男しぶしぶ納得」と書かれてあった。
あらあら、こんなコメントがあったらナース全体が敵になっちゃうじゃん。
自分ではできない医療行為をしてもらっている患者、家族の立場は弱い。言いたい事があっても言わない、言えない人が多いようだ。

主治医の先生は理解がある人と思えたので、院長先生とのやりとりの事も話した。

最終回へつづく

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セール・バーゲン・お買い得情報

終末医療の難しさ。パート2

2011年07月21日 00:15

結婚式が終わり、奇跡的に母が元気を取り戻し、栄養摂取としてではなく人として食べ物を食べられていた時。
夜、妹が買ってきた美味しい豆腐を美登里さんに食べさせてあげようとしていた時だった。美登里さんの病室はナースステーションからガラス張りになっていていつでも容態がチェックできるようになている。
夜勤のナースが睨むようにやってきて、「もう面会時間すぎていますから帰って下さい、特例はありませんから」とかなりきつい口調で怒られてしまった。
昭和を生きてきた美登里さんは「病院に迷惑をかけちゃいけないからもう帰りなさい」と涙ぐんでいた。

実はその時が、みどりさんが物を食べられる最後のチャンスだった。

帰り際に妹が「遅くまですいませんでした」とナースステーションに声をかけると、またまたきつい口調で
「あ、面会時間8時まででした。周りの人が眠れないので時間を守って下さい」。
実は隣の患者さんのうめき声と夜中のお歌がうるさくてみどりさんが眠れないのだが。

美登里さんが他界した後、看護部の責任者の方とお話したら「特例、勿論ありますよ。貴重な機会を奪ってしまってごめんなさい」と謝って頂いた。

主治医の先生は先のない美登里さんの病状を考え、「食事制限はありませんから、本人が食べたいもの、飲みたいものを与えてあげて下さい」と言ってくれていた。

ところが、「看護士からお茶を飲むのもダメだと言われてしまった」と残念そうに言う美登里さん。
妹が「主治医の先生が大丈夫って言ってたから飲んでいいよ」と言っても看護士のいいつけを守りお茶を我慢する美登里さん。

どうも、主治医の先生、夜勤の看護士、日勤の看護士と情報がちゃんと伝達されていないようだ。

家族としては残りすくない美登里さんの時間を余計な事に気を使わせたくない。

そんな経緯を院長先生にお話した。
松本さん(みどりさん)は終末医療を考える上でうちのスタッフにもいい機会を与えてもらったと思いますので、要望があったら意見箱がありますので、そちらに書いて入れて下さい。
この時は丁寧に対応していただき、すぐに看護士の主任さんが謝りにきてくれ、言葉の問題は気をつけますので。。。と言って頂いた。

最後に豆腐を食べさせてあげられなかったのは今でも心残りだ。
つづく

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終末医療の難しさ。パート1

2011年07月20日 11:55

母ば入院した病院の院長先生と話をした。
岐阜市の病院に勤務していて、大垣の病院に来られたばかりの先生だ。

「岐阜市は人口40万人に対して拠点病院が複数存在するが、大垣市は16万人の人口に対して拠点病院と呼べる病院が大垣市民病院一つしかない、これは大垣市民の医療に関して十分な状態とは言えない」と教えてくれた。

今回の事で色々と調べてみると出てくる、出てくる。
大垣市民病院でのトラブルの数々。

近年、当たり前になってきた「セカンドオピニオン」。治療方針を複数の病院、複数のドクターの意見から選択する。
大垣市民病院で「セカンドオピニオン」を求めたらドクターに恫喝された、とかあからさまに嫌がらせを受けたという話がビックリする程でてきた。

そんな中、大垣にできたのが徳州会病院。
母が徳州会病院に入院したと告げると「あそこはやめたほうがいい、高いし、薮だし」と言う声を何度も聞かされた。噂だけで判断はできないし、主治医になってくれた先生は母の病状(手遅れ)を明確に示してくれ、治療方針も患者さん本人が苦しむ治療は一切しない方針で僕と同じ意見を持ってくれた。

僕は病院が大嫌いで、入った時に嗅ぐ病院匂だけで体調が悪くなってしまう。
有り難い事に徳州会病院は病院匂が一切ない。
母の事だから毎日病院に通い、病院の中で食事をした。

母の病状を考え、最後に結婚式を見せてあげたいという僕の我がままにも答えてくれ、院内で結婚式をさせて頂く事もできた。
それでも、終末医療は難しく、病院側の思惑、患者の家族の思惑をすり合わせなければならず、大変な毎日だった。
つづく

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使わなかった遺書

2011年07月19日 02:31

海外取材に出かける時、遺書を書き机の上に置いて置く。
無事帰国して破るのが習慣になっていた。

昨年のアフガニスタン。
治安が悪化しているし、数日、アフガニスタンの友人の手助けなしで一人で動かなければならなかった。
その時、慌ててI phoneのテキストに書いた遺書。
おかげさまで使わずにすんだ。


母上

僕はあなたの息子であった事を誇りに思います。
幼き頃、一緒の時間を過ごせず、寂しい思いもしましたが、あなたは大人になるまて、大人になってからも僕を見守り続けてくれました。

借金までして大学に行かせてくれ、売れないカメラマンを続け、何度も家賃を払ってもらいました。
母上、あなたはいつも、私が離婚しちゃったからあなた達に迷惑をかけてしまった。と言いますが、
十分返してもらいましたし、僕は普通の家の子供より幸せだったと思っています。

何度も、教師や、一般の職を勧められたけど、伝える事によって人を助けることもできるカメラマンという仕事を続けたかったです。
テレビや新聞に出る機会が多くなって「あなたがやりたかった事が分かった」と母上に言ってもらえたとき、ようやく少しだけ親孝行できたと思いました。

この文章を読んでいるということは僕が先に逝ったということでしょう。
僕は後悔していません。
やるべき事を最後までやり続けた息子を誇りに思って下さい。
長い間ありがとう。
親愛なる母上へ
息子より。

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10:33母逝く。

2011年07月16日 23:38

午前3時過ぎ、病院から連絡があり駆けつける。

まだ想いがあるのか、不肖の息子が心配なのか、みどりさんは殆ど機能しない肺に空気を送りこむために体全体で必死に呼吸を続けた。

我が母の生命力に驚く。

一度、病院近くのホテルに戻り、9時過ぎに病室へ戻った。
病室の中からピンポン、ピンポンとアラームが聞こえる。

今度こそお別れを覚悟して入室すると、昇圧剤の点滴がなくなったアラームだった。
しばらく待つがナースが来る気配なし。

昨晩も昇圧剤の点滴はもうやめてもらってもいいです。とお願いしたくらいだし、多少うるさいけど、このまま待つ事にした。

時が流れ、ナースが来てくれた。
点滴を替えよとしてくれたので、「追加はなしでいいですよ」と言う。

案の定、やめるのはむつかしいと説明してくれた。
主治医の先生がいてくれたのが幸運。
倫理的には難しい、命をつなぐ方向とは逆向きになる行動を許可して下さった。

この10日間、終末医療の難しさを実感し、病院のスタッフに迷惑をかけたり、うまくいかない事も多々あった。

最後に面倒を見てくれた主治医の先生がこの先生で本当に良かった。

点滴の追加をやめて30分程。
我が母、松本美登里は静かに息をひきとった。

水分がなくなる程泣いたり、母の苦しむ姿を見てご飯が食べられなくなったり、携帯電話の着信に心臓がやられそうになったり。

そんな時、ブログのコメントやTwitterのReTweetに本当に励まされました。
何度目か分かりませんが、皆様、本当にありがとうございました。

明日、13:30から1時間程かけて、母は75年使い続けた肉体と離れて行きます。
多くの人に送って頂ければ母は迷わず成仏できると思います。
遠方からでも想って頂ければ幸いです。
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お迎えを待つ美登里さん

2011年07月15日 17:18

昨日の美登里さんはとても苦しそうだった。
片肺で、どれだけ呼吸しても苦しい感じだったと思う。

何度も近所の医者に行き、胸が苦しいと訴えたにも関わらず、どこも悪くないですよ。と言われた。
一昨日「こんなに肺に水がたまっているのに○○医院にはどこも悪くないと言われたんよ」と涙目で訴えた登里さん。その肉声は証拠としてしっかりビデオに納めてある。

すべてが終わったら○○医院にはしっかりケジメを付ける。
「慰謝料も含め、できる限り保証させてもらいます」と僕の連絡先を聞いて行ったが、残念な事に一度も連絡はない。

東京だったらな~。葬儀屋さんに知り合いもいるんだけど。。。
ご臨終になって慌てふためいて高額の葬儀に突入してしまう訳にもいかず、ネットで一生懸命しらべる。
資料を請求すると5000円安かったり。
なんだか、よくわからない気分だ。

今日は結婚式に参列してくれた岐阜のママさん友達が子供連れでたこ焼きを買ってお見舞いにきてくれた。
一昨日はこれまた地元のママ友達が来てくれて、登里さんのむくんだ足を揉んでくれた。

入院からこの10日間、友人、ネット上の知り合いの人、本当に多くの人達に励ましてもらいました。
みなさんの想いが届き、登里さんはもう苦しみを感じる状態ではなくなりました。
本当にありがとうございます。


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近所のお店、鶴丸

2011年07月14日 19:39

子供の頃、よく出前を取っていた鶴丸。
生まれて初めてお店に入ってみた。
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昔懐かしいきしめんを食べてみようと思った。
お店に入って椅子に座ると鶴丸のおじさんが「久保田さんかね」と声をかけてくれた。
最後に会ったのは中学生の頃。
よく覚えていてくれた。

昔、ボーリング大会に何度も連れて行ってもらった。
おじさんはもう80歳になるが、未だにボーリングをしているそうだ。
最近でも200台を出すそうだ。

しかも、未だに愛用のカブで出前に行くらしい。
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現役で仕事をして、なおかつ趣味を持っている人は元気だ。

20数年ぶりの再会を喜び合い、一緒に写真を撮ってもらった。
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すれ違いに人生のように見えて、また再会できた事がうれしい。
岐阜に滞在中は何度か足を運んでみるつもりだ。

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愛娘チョビ

2011年07月13日 15:03

母の事があり、ずっと東京を離れてしまっている。

心配なのは愛娘チョビ。

すっかり我が家になれ、自分の家のようにくらしている。
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時折、外が気になるのか窓から外を眺める。
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アップで見るとブルーの瞳がとても美しい。
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ペット写真のご要望な久保田まで。な~んて。
戦場じゃない写真も楽しい。
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笑い話を一つ

2011年07月12日 23:31

母の話で暗い気分を蔓延させてしまったお詫びに笑い話を一つ。

病院で夜うるさくて眠れないと母が言ったので、耳栓を買ってきてあげた。

僕はいなかったのだか、妹と父が病院にいて、帰る直前に耳栓を使う事になったらしい。

父が母の耳に耳栓を入れてあげたようだ。

これで大丈夫か?
と聞く父に母は大きく頷いたそうだ。

ダメじゃん!
聞こえてるじゃん!

父と妹は腹を抱えて大笑いしたそうだ。
みどりさんがどんな顔で頷いたか想像すると、僕も笑いが込み上げてくる。

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妹の強さ

2011年07月12日 11:25

7月6日
泣きながら「どうしたらいいの?どうしたらいいの?」と夜中に電話してきた妹。
いくつものチューブにつながれて大変そうなー母の世話をしてくれている。

酸素マスクと気管の苦しさに邪魔されてうまく話せない母とコミュニケーションをとっている。

お茶を飲ませてくれたり、プリンやアイスクリームを上手に食べさせてくれている。

摂取できる栄養と危険度を考えたら食べない方が良いのかもしれないが、生きているうちに食べる喜びをあじあわせてあげたい。

息も絶え絶えに「美味しい」という母を見るのはつらい。

妹は手慣れたもので、笑顔で対応してくれている。

最初のパニックを越えたら僕より肚が据わっているようだ。
隣りの患者さんの呻き声が煩くて眠れない母。

今日から一日10500円の個室に移動した。。
近所のビジネスホテルより高い。
今頃になって、高価な親孝行。

宝くじ当てなきゃだ。


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結婚式、無事終了

2011年07月11日 09:42

一番ドキドキしたのは母が式の時間まで持ちこたえてくれるかどうか。

式は僕の高校の後輩である大平氏のお寺で行う予定だった。
主治医の先生はGOサインを出してくれたが、院長先生が「様態を考えると外に出すのはあまりおすすめできません」。

病院内で式を挙げてくだされば、我々が精一杯協力させて頂きますと言ってくれた。

ここまで来ると何が正しい選択なのか分からなくなる。
式場のお寺までは病院から車で10分程、救急車を出して下さるし、式中暑さで母が逝ってもそれはそれで良いと思っていた。

病院の天井じゃなくて、夏の青空を見せてもあげたかった。

迷いに迷ったすえ、病院での挙式を決断したのがお昼少し前。
式のスタートは15時。

病院のスペースをかりて、簡単な式を挙げる事ができれば良いと思っていた。
そこから数時間、病院のスタッフが挙式の為の特設ステージを作ってくれた。
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リハビリテーション科の人達、事務長さんありがとうございます。

後輩の坊主がやってくれるのは仏前式。
病院に坊主が入ってくるのも異例の事だと思う。
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「結婚式」をすると決めたのが前日の夕方。
参列をお願いした友人達の第一声「ウソでしょ~。またまま~、面白いネタですね~」だった。
母の病状を話すとようやく本当だと思ってくれ、突然の誘いにも関わらず50人以上の友人が駆けつけてくれた。
東京からはダーツ仲間とカメラマン4人、大阪からもジャーナリストの玉本英子さんやパキスタンで難民支援を手伝ってくれた北村君や出会って間もない溝口さんまで来てくれ、4人。
愛知県の田原市からは東北に一緒に行った立岩さんと美仁さんの2人。
勿論、地元から多くの友人達。

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母は多くの参列者に囲まれ、最高の笑顔を見せてくれた。

式が無事終了し、僕は参列者の皆さんにお礼を述べつつ、会話をしていた。
我が妹が「美登里さん、疲れたし病室へ戻ろうか?」と問いかけた時、母は首を横にふったそうだ。
看護士も人も帰る事を勧めたようだった。
「どうしたの?お兄の事見とりたいの?」と聞くとうなずいたそうだ。

突然の知らせから式まで、twtterやメールで多くの人に励まされました。
この場をかりてお礼を申し上げます。
本当にありがとうございました。

多くの人達が応援してくれている、見守ってくれている、壊れそうになる心を支えてくれたのはインターネットの向こうにいる皆さんでした。

式後、母親は奇跡的に元気になり一日に何度か声を出して話す事ができています。
僕と家族は終末医療の難しさに直面しています。

なかなかブログを書く時間が取れませんが、これからも報告を続けていきます。


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明日結婚式します。

2011年07月08日 23:34

秋には結婚するんだよ!
人生最大のウソをつきました。
「本当!良かった」

「お母さん結婚式まで生きられるかなー?」
肺に溜まった水を抜いて貰ったら楽になるから大丈夫だよ。

でも。。東京は遠いから岐阜で身内だけで結婚式するよ。

「車椅子でいかなきゃならないね」。

結婚式に向けて頑張ってほしかったけど、無理そう。
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と、いうことで、本当に突然ですが、
明日の夕方、岐阜県安八にある覚成寺で結婚式をします。
お近くの人は是非。
安八町西結701

僕の母

2011年07月08日 07:44

間に合った!
夜中に妹から電話をもらった時、もう動く母に会うのは無理だと思った。
母はまだこちら側にいてくれた。

この後、何度あるか分からないが、一度目の峠は越えたようだ。

我が母は美登里という。

黙って行ったイラク戦争。
近所のおばさんから「おたくの息子さん戦争のテレビに出てるよ」って言われビックリしたそうだ。

バグダッドから衛星携帯で電話した時
「あんたまた危ない所行ってー!」
「あんたがやりたい事は分かっているから頑張りなさい。ただ、親より先に死んじゃいけないよ」と気丈に話た凄い母。
後で妹から聞かされた。
電話を切ってから大泣きしたそうだ。

今度は僕の番だ。
眠る母の手を握ると鼓動を感じる。
物心ついてから初めてだろう。母の頬にキスをした。

溢れそうになる涙。

バグダッドにいる時、電話で母が泣いたら僕は冷静な判断ができなかったと思う。

胃が痛い、吐きそうだ。

戦場カメラマンなどして、どれほど母を苦しめてしまったか、今頃思う。

母から見える位置に自分の写真をぶら下げてみた。

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心優しい読者のみなさん。

2011年07月08日 01:52

ごめんなさい。
母の写真を見て動揺していたようで。。。
終末なのに、、、週末って書いていました。
僕、サラリーマンじゃないので週末だけって訳じゃないんですが。
やさしく見逃してくれた皆さんありがとう。


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母、終末医療。(個人的なお話)

2011年07月07日 12:52

妹から電話があった。
近所のS医院に通っていたが、「検査をしてもどこも悪い所はないです」と言われ続けていた。

それにしても食事が摂れず、衰弱して行く母を見かねて違う病院に行ったそうだ。
なんと肝臓が癌で肥大していて、肺も片方が機能しているだけだそうだ。
いつ天国に行ってもおかしくない状態だそうだ。

新しい病院のお医者さん曰く「この状態でどこも悪くないって言った医者は信じれないですね」と
僕がジャーナリストという職業についていなかったらS医院は実名、住所、電話番号まで公表しただろう。
半年以上、どこも悪くないと言い続けたS医院。
家族としては半年前に対処していれば、手遅れだったとしても違った週末医療を施す事ができたと思ってしまう。

戦場カメラマン。なんて仕事をしていると、一の死に接する事が多い。
しかも、自分自身も今回は無事帰国できないかも。
と何度も思って来た。
遠隔地で暮らす母。
一年に二度会ったとしても残り何回自分の母親に会えるだろうか?
毎回そう思っていた。
過去ブログ

帰省した時、なんとか地元の大垣祭りに連れて行く事ができた。
この時、僕たちは、ちゃんと食べれば母が復活すると思っていた。
全身を癌に蝕まれた状態でよく歩いてくれた。
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1887.jpg
チョコバナナを食べる母

医者の間違った判断を信じていた僕たちは「頑張って食べなきゃだめだよ」ばかりを言っていた。

一切贅沢をする事なく、僕が帰省すれば未だにお小遣いをくれようとする母。
僕がこんな仕事していた為に一緒に過ごす時間はとても短かった。
最高の親孝行、孫を見せて上げる事もできなかった。

医療ミスと言えるかどうが分からない医者の判断ミス。
それでも家族は許せない気持ちで一杯。
娘を殺されたリンゼイさんの家族、何の前触れもなく訪れた天災によって家族を無くした人達の悲しみがどれほどかと思う。
痛みを、悲しみを感じた人でしか分からない気持ちがある。

昨日「ウナギが食べたい」と言った母。
終末医療は簡単ではない、それぞれの仕事を一時中断しなければならない。
中断すれば、その分の収入もなく、最後の時をむかえる人達に十分な事をしてあげられなくなる。

僕は大丈夫。アフガニスタンの為に200万以上借金したくらいだ。
のこされた時間がどれほどか分からないが、借金してでもウナギ食わしちゃる。
どれだけお金がかかっても苦しみが少ない治療受けさせちゃる。

母を思うと胃が痛い。
僕が戦場に向かう時、どれほど母や家族に辛い思いをさせていたか、今初めて実感した。

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写真展のご案内。千葉県いすみ市

2011年07月06日 12:51

9月5日からいすみ市で写真展を開催します。

写真展のお手伝いしてくれるスタッフ募集。
搬入9月5日
搬出10月2日
期間中、会場にいてくれる人も募集します。

写真展に展示する写真の選定、キャプション作りを手伝ってくれる人も募集します。
場所、八王子市山田町。久保田邸。

特典、プロが撮影した生写真を見る事ができる。ご飯くらいはなんとか奢ります。
同時に整理しきれていないポジフィルムの整理のお手伝いも募集。
遠隔地の方はお泊まりもOK。
募集時期は随時。
久保田が撮影、打ち合わせ等で外出しない時ならいつでも。

お手伝いして頂ける人は下記に連絡お願いします。
久保田への連絡


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仮設住宅と支援の打ち切り。

2011年07月06日 02:11

まだまだ、その数は足りていないが、被災地のあちこちで仮設住宅を見かけるようになってきた。

ネコのクーちゃんのお母さんに仮設住宅の問題点を聞いてみた。
「応募はどこの仮設住宅じゃなくて地区ごとの応募になっているんですよ」
「私は避難所の目の前の仮設住宅に入れたから良かったけど、山の中の不便な所が当たったら断ってよ!って主人にお願いしておいたのよ」。

避難生活を送る人の数と仮設住宅が建てられる土地のスペースを考えると不便な場所に仮設住宅が建ってしまう事も往々にしてある。

「学校に行っている子供がいる家は通学の問題もあるから山の中は無理よね~」

「私は大丈夫だけど、仮設住宅に入ってしまうと食料なんかの支援が受けられないから入りたくないっていう人もいますよ」。

仮設住宅には当座の生活に必要なエアコン、冷蔵庫、電気ポットなどが付帯してくる。
そして、大体が2年契約だが、2年間家賃の心配はいらない。

しかし、生活に必要な物資を買うお金、電気代の補助はない。
被災者にお話を聞くと、かえって年金生活者の方が生活に困らないケースが多いらしい。
津波ですべての財産を失い、勿論、職も奪われた働き盛りの人にとっては仮設住宅に入った事によってすべての支援を打ち切られてしまったら生活が成り立たない。
せめて、仮設住宅に入ってから3ヶ月とか半年くらいは光熱費の補助くらいあっても良いと思う。

アフガニスタン難民を難民キャンプから本国へ返す時、国連は当座の生活費を渡していた。

仮設住宅にも色々あって、学校のグランドなど、できるだけ早く撤去が望まれる場所はプレハブの仮設住宅が多い。

高田一中の仮設住宅を見せてもらった。
HQ2Y3655.jpg
HQ2Y3656.jpg

住んでいる人曰く「一番早く仮設住宅に入らせてもらったから有り難いけど、プレハブはやっぱり暑いです」
「電気代がもったいないからまだエアコンは我慢していますが」。
避難所生活に比べたら天国だろうが、やはりお隣さんの物音も気になるらしい。
HQ2Y3653.jpg

決して悪い作りではないのだが、サンビレッジの仮設住宅と比較すると住み心地は雲泥の差だ。

松本龍復興担当相の暴言が問題になったが、マスコミが騒ぎだしたのは民意が動いてからだ。
宮城県東松島市の阿部秀保市長は「一日も早く復興に向けて、法律の整備と予算審議をお願いしたい」
とのコメントを出した。

形だけ整える復興支援でなく、被災し困っている人達がこの先自立生活できるようにするのが復興支援だ。
メディアはピークをすぎたからと報道を止めず、継続的な報道を続ける義務がある。

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クーちゃん避難所から仮設住宅へ

2011年07月05日 12:20

震災から3ヶ月以上が経ち、あちこちで仮設住宅ができあがっていた。
仮設住宅の建設にあたっては総理大臣の一言があって、各地で建設業者の人達が苦労を強いられた。
過去のブログ参照

前回、仮設住宅の基礎工事が行われていた場所。
HQ2Y1885_edited-1.jpg

想像以上の立派な仮設住宅が出来上がっていた。
IMG_2598.jpg

この避難所にはペットが沢山いた。
クーチャンは避難所の中に入る事ができないため、ネコなのに車につながれていた。
HQ2Y1928_edited-1-のコピー

そのクーちゃんは抽選で仮設住宅をゲットし、ようやく落ち着く玄関を自分の場所として手に入れた。
HQ2Y3686.jpg

役所の計らいか、クーちゃんのお隣はネコ家族が3件連なっている。

近所の子供達が「おばさんクーすけいる~?」と仮設住宅に入っていく。
ペットがもたらす明るい雰囲気、ペットがいるから仮設住宅に入っても避難所の時と同様に近所付き合いが保てる。
まだまだ問題は山積だが、まずはワンステップ進歩。
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東北R45。美しい海。

2011年07月04日 14:05

R45を岩手県から宮城県へ向けて南下すると、所々砂利道になり、ようやく道路を復旧させたのが伺える。
テレビや雑誌で報道された被害が大きかった町。
その間にある小さな集落も軒並み津波の被害を受けている。

政治家の方々にはピンポイントの視察でなくR45を車ですべて見てほしい。

美しい浜の海水浴場がある。
太平洋に広がる美しい海が見られる。

災害復旧工事の影響で一般車両が入る事ができない地域もある。
復旧工事の迷惑にならない範囲で東北を見てほしいと思う。
大手メディアの報道や僕の写真では想像できない被災地が見える筈だ。

HQ2Y3592.jpg
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東北R45。

2011年07月03日 01:30

今回は陸前高田だけでなく国道45号線沿いの被災地を一通り取材した。

あちこちで、あらためて津波のパワーを実感した。

こんな大きな船が流されてくる。
HQ2Y3634.jpg

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