中国日記3

2011年05月29日 19:36

この数年、何度も訪れている杭州。
上海と杭州を結ぶ高速鉄道が完成し、町中には新たなビルやマンションが建設され続けている。
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この景色、今はもう見られない。
日々開発されて行く杭州。
昔ながらの景色を撮影しておきたいと思う。

ふと気がつけば、大きなタワーが建設中だった。
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タワーの前に大きくあいた土地は新しくマンションができるらしい。
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立ち退きが終了したと思われる建物。
次に杭州を訪れる時には新しい建物が建っていることだろう。

この一枚の写真を持っていないとこの場所がどこかわからなくなってしまいそう。
人口が650万人を超える杭州。
もうすぐ地下鉄も完成するし、まだまだ発展を続けそうだ。
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放射性物質の拡散予測終を中止

2011年05月26日 01:12

IAEAの要請が終了したから放射性物質の拡散予測を中止するらしいが、1日13万件ものアクセスがあると言う事はそれだけ情報を欲する人が多いと言う事だ。
事故当初、メルトダウンはない!と断言していたのに結果1~3号機までどれもがメルトダウン状態。
放射性物質の拡散情報を提供するのは事故を起こした東電、国の義務だろう。
拡散情報をテレビで毎日流したら、気にしすぎて精神に不調をきたす人が出てきてよろしくないだろうが、
知りたい人がアクセスして情報を得るホームページで公表するのは良い方法だし続けるべきだと思う。

下記、YOMIURI ONLIMEより
気象庁は25日、国際原子力機関(IAEA)の要請に基づき行っていた福島第一原発事故による放射性物質の拡散予測について、IAEAの要請が終了したため、予測を中止すると発表した。

 同庁によると、IAEAから要請終了の連絡が入ったのは23日。同庁は3月11日から5月23日まで計43回、拡散予測を行った。当初は結果を公表していなかったが、枝野官房長官からの指示で4月5日からホームページで公表している。今後は再び要請があった場合に結果を公表するという。

 拡散予測は、同原発から1ベクレルの放射性ヨウ素131などが放出されたと仮定し、気象データをもとに、放射性物質の地上への降下量や大気中の濃度分布などを示したもの。放射性物質が地球規模で広がる様子を示す目的がある。公表直後の4月6日には1日約13万件のアクセスがあった。

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中国取材日記2

2011年05月24日 14:32

まだ寒いかと思い、セーターをスーツケースに入れて行ったが、最後までセーターの出番はなかった。
浙江省は連日30度超えの暑さが続いた。

5月19日中国旅行の日のイベントではIDと共に白い帽子がもらえた。
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普段帽子を被らない僕だが、今回は帽子の存在がありがたかった。


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オマル氏殺害か?

2011年05月23日 16:55

その昔カンダハルの私邸にお邪魔したオマル氏が殺害されたとの一報。
アフガン・イスラム通信はタリバン報道官は最高指導者オマル師の殺害を否定した。
と伝えているが。
今タリバンを排除してしまうとますます治安が悪化してしまうのに。

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急速な経済発展をし続ける中国

2011年05月23日 13:23

近年、急速な経済発展をし続けている中国。
都市部と農村部の経済格差は広がる一方。

都市部では車の数が急速に増え、渋滞が問題となっている。

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この状態で交通事故が起きないのは奇跡だ。

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久保田弘信の写真集、アマゾン



中国取材日記1

2011年05月22日 00:14

ブログにアップしようとトライしたが、中国ではFC2にアクセスできない。
勿論、Face Bookにもアクセスできない。
裏技ソフトを友人からもらっていたが、な、なんとマックでは使えない。

でも、mixiは大丈夫。
せっかくコミュがあるのに放置しっぱなしなので、今回はリアルタイムの中国日記をコミュにアップします。
今回は5月19日が中国で旅行の日と定められた事で急遽取材が決まった。

と、mixiのコミュにアップした記事を改めてブログに。
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写真:蒋介石の古里の近くのサービスエリア
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写真:とりあえず記者証を頂いた。
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中国、浙江省

2011年05月16日 19:58

明日から中国、浙江省杭州、寧波、台州方面へ取材にでかけます。
上記方面の写真が必要な方がいらっしゃいましたらご連絡お願いします。
スケジュールが許すかぎり撮影したいと思います。
撮影依頼はこちらへ






相模女子大学にて講演。

2011年05月12日 19:28

久しぶりに関東圏での講演。
9・11そしてアフガニスタン戦争からはや10年をむかえる。
この10年アフガニスタンは平和へ向かえたのか。
オサマ・ビン・ラディンが殺害されてアフガニスタンに平和が訪れるのか。
相模女子大学で講演させてもらいます。
特別講演 「アフガニスタン戦争とその後」

■日時  5月14日(土) 13:30~15:00 
■会場  11号館1階 1115教室
■受講料  無料
■定員  100名

■申込方法
メール(希望講座名・住所・氏名(ふりがな)・年齢・電話番号・メールアドレスを明記)
または下記の申込用紙をファックスでお送りください。
※受講証は発行致しません。当日、直接会場にお越し下さい。

詳しくは下記
相模女子大学HP

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避難所~仮設住宅

2011年05月12日 09:39

訪れた避難所では仮設住宅の建設が始まっていた。
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避難所として使われている施設のすぐ裏。
コンクリートだったのを剥がし、急遽仮設住宅の建設場所としたようだ。

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避難所に暮らす人は40世帯程。
仮設受託は32世帯分作られるそうだ。

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栃木から来て建設にあたっている人に話を聞いた。
「一週間前に突然仮設住宅の建設依頼がきて、2日前(5月6日)から建設をスタートしたんですよ」
いつ頃までにできるんですか。
「普通なら一ヶ月半か二ヶ月くらいかかるんだけど、今月末までに仕上げるように言われているだよ」
間に合いますか。
「俺の方で一生懸命人を集めてなんとか間に合わせる感じだよ」
大変ですね~。
「そうだよ。同じ東北だから助けてあげたいって気持ちをあって来たけど、宿泊は30人以上雑魚寝だし、今日の朝食もご飯と漬け物だけ。避難所の人達の食事がうらやましいよ」
「地元でやっていた仕事は後回し、俺は助けてあげたいから来るつもりだったけど、断ったら今後仕事をまわさない!って半分脅しだもん」

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一緒に来ていた若い衆(写真左)の左手薬指にはリングが。
もしかして、奥さんを地元に残して来ているんですか。
「一歳の子供と奥さんを残して来ているよ。しかもカミサン妊娠中でさ~」
親方の方はどうですか。
「うちはカミサン俺がいない方が良いって思っているさ」と照れ笑い。

「俺たちが一所懸命仮設住宅作ってもさ~。入りたくない、避難所生活もままでいい。なんて話聞くとがっかりしちゃうよ」
そうなんですか。
「仮設住宅に入ったら支援受けられないからいやだ。って思っている人が多いみたいだよ」

今回の震災で避難所へ行った人は支援を受けられたが、半壊した家で生活をしている人には支援の手が行き届かなかった例が沢山ある。
家と財産のすべてを無くした人達に仮設住宅に入った時点で支援は打ち切り。なんて事ができる筈がない。

戦争によって避難した人達の為に作られる難民キャンプ。
作る時よりも閉鎖する時の方が難しい。
最終に自立に至るまでの支援。その方向性が見えないと被災者の人達も安心できない。

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避難所での出会い

2011年05月10日 22:34

友人の立岩氏と共に避難所にシーツを届けた。
前回、立岩さんがもう一回くるからね!と約束した女の子はユニセフのプランでお出かけ中だった。
残念な事に再会はできなかったが、立岩さんはお得意のバルーンで避難所の子供達を笑顔にしていた。

避難所にひと際目立つ緑のベストを着た難民支援協会の人達がいた。
難民支援協会か~。その昔お世話になったな~。と思いを巡らせていると。
僕がスーダンに行く時に色々と情報をもらいお世話になった石井さんに良く似た人がいた。
おそるおそる近づき、胸元を見るとガムテープに「いしい」と書いてあった。

その頃には石井さんも僕に気がつき。
お互いに「紛争地でなく日本の東北で再会するとは思わなかったですね~」と握手。
石井さん「難民の人でボランティアに参加したい人が結構多いんですよ」と教えてくれた。

避難所で生活をしている人はその殆どが津波によって家を無くしてしまっている。
今後、どのように生活をしたら良いのか。
どのような保証が受けられるのか。
生活が一段落し始めた今、改めて多くの人が不安を抱えている。
そんな悩み事の相談役として難民支援協会は弁護士の人と共にやってきていた。
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難民支援協会は弁護士の人と友に紙芝居方式で分かりやすく法律の事を説明していた。
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ちょうど昼食前で、外ではイタリア人のボランティアが炊き出しを始めていて殆どの人が外に出ていた。
しかし、皆さんが抱える悩みは同じようで、説明が始まると多くの人が集まり、耳を傾けていた。
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震災から二ヶ月が経ち、支援の段階は緊急支援をphases1とするとphases2に入り始めたようだ。

震災直後、物資が足りずボランティアは交通費自腹、しかも現地での食事は自分で確保する事が望まれていた。
今、現地では倒壊した家屋から残った物品を運びだしたり、家の中の泥をかき出すボランティアがまだまだ必要とされている。
phases2ではより多くのボランティアが活動できるようにボランティアの人達への補助を考えなければならない。
ボランティアで東北に行きたくても交通費を捻出できない人は沢山いるだろうし、せっかく東北に入っても一泊6000円から7000円かかるビジネスホテルに泊まる余力の無い人は日帰りせざるを得ない。

次のブログではphases2のあり方について書きます。

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何故、浜岡原発だけ?

2011年05月09日 22:42

内閣総理大臣の要請によって浜岡原子力発電所の原子炉が停止される事になった。
何故、浜岡原発だけなのか。

東海大地震の可能性があり現時点では危険だと判断されたからだろうか。

日本経済新聞の記事によると
仙谷官房副長官は「浜岡原発以外の原発は30年以内に震度6以上の地震が起きる確率が1%以下の所がほとんどだ」と発言したようだ。
浜岡だけが87%の確率で大地震が起きるらしい。

現代科学では地震の予知は不可能とされている。
それでもプレートの動き、過去の実例から87%という数字がはじき出されたと想像する。
浜岡が危険にさらされる可能性が高いというのは分かる気がするが、その他の原発が1%以下というのは誰が言った言葉なのだろうか。

首都東京に近く福島が放射能を出し、浜岡まで放射能を出し始めたら困ると思った人はいないだろうか。
さておき、浜岡原発の耐震設計に問題があるという情報がある。
もし、これが事実なら浜岡だけ停止要請が出された理由がうなずけるものとなる。
防潮堤等を整備し、2~3年後には発電を再開する予定らしい。
その間に耐震補強もできるだろう。

今の日本の電力事情を考えると危険の可能性があるからという理由で原発を止めたら日本経済がなりたたない状況なのは間違いない。
その事実をふまえたうえで、日本各地に点在する原発の安全性を見直す必要があるのではないだろうか。

下記、長文ですが、参考までに。


この記事は、『My News Japan』の佐々木敬一氏が、浜岡原発の設計者であった谷口雅春氏から聞いたことを取材、代筆したものだ。日付が2005年の7月13日となっており、6年前に書かれた記事だが、もし、改善が図られていない場合は、大いに参考にするべき記事だと思う。

浜岡原発2号は東海地震に耐えられない 設計者が語る
谷口雅春


実際に原子炉設計に携わり、「データを偽造して地震に耐えうることにする」との会議に立ち会ったことから、技術者の良心で辞表を出した経緯を公表し、警鐘を鳴らした設計者。しかし電力会社を広告主にもつ大手マスコミはこの事実を取り上げず、行政に知らせても音沙汰なし。東海地震が起きれば関東・関西一円に放射能汚染が広まる危険性は高く、早急な対策が必要だ。「このままでは大変なことになる」という設計者の決意の証言を報じる。(取材・代筆、佐々木敬一)

私は1969年に東京大学工学部舶用機械科の修士課程を修了後、東芝子会社の「日本原子力事業」に入社し、1972年当時は、申請直前だった中部電力の浜岡原子力発電所2号機(静岡県御前崎市)の設計に携わっていました。東芝が浜岡原発の受注先の一つで、私は東芝に出向中でした。

浜岡2号機の設計者は数十人で、1「炉心構造物設計」、2「制御棒設計」、3「汽水分離機・蒸気乾燥器設計」の3つのチームに分かれていました。私は1に所属し、核燃料を支える炉心支持構造物といわれる箇所を担当していました。原子炉の中心的な部分です。

必要なデータを私が集計し、それをもとに、計算担当者が耐震計算を行っていました。

◇「この数値では地震がくると、もたない」
ところが1972年5月頃、驚くべき事態が起こりました。部門ごとの設計者の代表が集まった会議で、計算担当者が「いろいろと計算したが無理だった。この数値では地震がくると浜岡原発はもたない」と発言したのです。

原因は、第一に、浜岡原発建設地の岩盤が弱いこと、第二に、核燃料集合体の固有振動数が想定地震の周波数に近いため、とのことでした。

第一の「岩盤が軟弱」という点では、浜岡原発の建設地は、150年前に発生した安政の大地震など200年周期でM8クラスの地震が起きており、岩盤が断層、亀裂だらけで、地震に非常に弱い地盤です。しかも、今後起こるといわれる東海大地震の震源域は駿河湾といわれており、その駿河湾の震源地が、ちょうど浜岡原発の真下に位置しているのです。

第二の「固有振動数」については、地震が起きた際には、周波数があります。その周波数と、核燃料集合体の固有振動数が近い場合は、地面と燃料集合体が共振し、何倍も大きく振れることになります。耐震計算の結果、浜岡原発の核燃料搭載部分はその共振が著しく、地震が起きたらもたない、との結果が出たのです。

◇3つの偽造
会議では、さらに驚くべきことに、計算担当者が「データを偽造し、地震に耐えうるようにする」と述べました。偽造は三点でした。

第一に、岩盤の強度を測定し直したら、浜岡原発以前に東電が建設した福島原発なみに、岩盤は強かった、ということにする。

第二に、核燃料の固有振動数を実験値ではなく、技術提供先である米ゼネラル・エレクトニック社(GE)の推奨値を使用することで、地震の周波数は近くないことにする。

第三に、原発の建築材料の粘性を、実際より大きいこととし、これにより地震の振動を減退していることとする。

私は、それを聞いて「やばいな」と思い、しばらく悩んだ末に上司に会社を辞める旨を伝えました。自分の席に戻ったところ、耐震計算結果が入った三冊のバインダーが無くなっていました。そのため、証拠となるものは何も持っておりません。

技術者の良心から日本原子力事業を辞することに。
その時の辞表。

それから1ヵ月位慰留を受けた後、私は技術者の良心に従い、警告の意味を込めて、退社しました。その後は、コンピューター関連会社など、原発とは無縁に30年以上生きてきましたが、浜岡で地震が起きたら、核が飛散する、との考えはいつも頭から離れることはなく、横浜にマンションを買って住んでいた時もありましたが、もっと浜岡から離れた方が安全だと思い千葉に移り住むなど、私の人生に暗い影を落とし続けてきました。

こういうエピソードもあります。東芝の子会社を退社してから10年ほど経ったときのことでした。私は大学院時代の研究室のOB会に参加したのですが、そこでちょうど東芝と同じく浜岡原発2号機の建設の一部を請け負っていたIHI(石川島播磨重工業)に勤める後輩と会いました。

私は、浜岡原発の耐震が持たないのを知って、会社を辞めた、と経緯を話したところ、各地の原発を回っているというその後輩は、「そう言われれば、浜岡はちょっとした地震でもビンビン揺れますね」と言ったのです。中電や下請け会社など原発関係者にとっては、そんなことは周知の事実でありながら、安全に無神経でいることに暗澹たる思いに駆られたものです。

◇関東、関西一円に放射能汚染の危険性
そして、2005年2月8日付の朝日新聞の朝刊記事に、「浜岡原発1、2号機に亀裂」とありました。地盤が軟弱な上、大きな地震も無かったのにひびが入ったのは、やはり耐震性に問題があったのではないか、と私は驚き、このままでは大変なことになると危機感を募らせ、証言を決意しました。

受理を伝える手紙だけ来たが、その後3ヶ月、音沙汰なし
その後すぐに、経済産業省の原子力安全・保安院と市民団体に告発文を出し、4月15日には静岡県庁で記者会見を行いました。経産省からは手紙の返事を受け取りましたが、「今後調べます」との趣旨が記載してあるだけで、その後、音沙汰はありません。記者会見については、結局、取り上げたマスコミは地元静岡のテレビ局や中日新聞社など、ごくわずかでした。

記者会見の折、代表幹事の記者がニヤニヤと笑いながら私に質問してきたため、不思議に思ったのですが、それは、巨大スポンサーである電力会社に楯突いても無駄だよ、という態度でももちろんあったと思いますが、それだけではない、と私は考えています。記者の薄笑いには、「そんなわけがないだろう」との意識が働いていた、と考えます。

後で気づいたことですが、地元静岡では、事実とは逆に、「浜岡原発の地盤は福島原発の地盤より強い」との中電の言い分が、広く浸透しているのです。それは、反原発を訴える人々や記者の人々ほど、そう思い込んでいるように見受けられました。

中電が原子力委員会に提出した浜岡原発2号機の設置申請書には、参考資料として、電力中央研究所のレポートが添付されました。電力中央研究所とは、電力会社の出資による財団法人で、国からの委託も受けており、御用学者を動員し、原発を推進している機関です。そのレポートに、福島原発に比べ、浜岡の岩盤は強かった、との嘘の主張があるのです。

地元の人々にしてみれば、「安全であってほしい」との願いが、安易に中電の話を信じさせてしまっている、と感じました。

早急に対策を打たなければ取り返しのつかない大事故につながってしまいます。それは、一地元住民だけの問題ではありません。地震が起き、原発が破損するということは、核分裂生成物が外に漏れるという事であり、東京・大阪を含む関東・関西一円が放射能に汚染される、ということを意味するのです。

【シミュレーションの状況設定】
■事故想定:突然、1~4号炉のうち2号炉がメルトダウン事故(BWR1タイプ)。
■事故原因:ミサイルテロ、東海地震、等考えられるが、ここでは特定しない。
■風向き:年間のうち御前崎で観測される約7割の南西風(偏西風)
■日時:実測の大気データ2002年8月9日で拡散した場合
◆放射性物質発生データ提供:京大原子炉実験所(小出裕章助手)
◆拡散分布シミュレーション計算協力:鈴木基雄(元日本気象協会調査部)
引用: 「浜岡原発、巨大地震対策虹のネットワーク」より

チェルノブイリ原発事故の汚染を浜岡に当てはめると、近畿地方と関東一円から新潟に至る広い地域で長期間、人が住めない程の放射能汚染が生じます。

参考:「放射能の風はこうして首都圏まで流れてくる!」

また、浜岡2号機から放射能が放出され、東京方向が風下と想定した場合、放射能汚染によりガンで亡くなる人数は176万人に達し、名古屋方向が風下なら95万人が死亡する、との試算もあります。(京大原子炉実験所の故・瀬尾健助手の開発したプログラムをもとに同研究所の小出祐章助手が計算した「ガンによる死亡予測」より)

しかも、これは2号機に限った予測であって、5号機までの全てに原発震災が起きた場合は、この程度ではすみません。

原発は、エネルギー政策の一環として、国策でつくり続けてきました。最近いろいろ調べてみて思ったことは、国と電力業界、原子力産業が一体となって、人々の安全を無視し、つくり続けているということです。


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避難所

2011年05月07日 19:18

陸前高田にある避難所を訪れた。
スポーツ施設の中にドーム型のテントが建てられ、避難された人達が生活していた。

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このドーム型のテントは国際ロータリークラブから提供されたらしい。
体育館などの避難生活でもそうだが、長期化するとプライバシーの確保が大きな問題になってくる。
家族4~5人が生活できる大型のテントは仮設住宅が完成するまでの間あちこちの避難所で重宝すると思う。

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本部テントには応援のメッセージが貼られていた。

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この避難所の代表の方とお話した時。
「東北の人は我慢強いし、今して頂いている支援でも十分ありがたいと思っているので、なかなか新たな要望など言えないんです」と。
そんな会話の中で今必要としている物。

これが意外と盲点だったが、シーツとお布団だそうだ。
緊急支援で毛布は届いているがシーツがない。
「避難所での生活ではなく親戚などの家で生活されている人も多いのですが、その人たちが仮設住宅に移住してもお布団まで借りていく訳にもいなかにのでシーツとお布団があれば助かります」と聞いた。

ブログでシーツやお布団を集めようと思っているうちに上記の避難所の世帯数分くらいが集まった。
突然ですが、パントマイマーの友人と今日の深夜東京を発ち、岩手の避難所へ向かいます。
週明けにはまた報告のブログを書きます。
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陸前高田へ

2011年05月06日 18:47

支援物資は陸前高田から避難して避難所生活を送っている人達の所へ届けられた。
地元の人の案内で津波被害の現場へ入った。

現在現場へは工事車両と許可車両しか入る事ができなくなっている。
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一つの町が跡形もなく無くなっていた。
テレビの映像で見てはいたが、現場に立ってみるとテレビの映像からは見えてこない被害の大きさを実感した。

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ロータリークラブの人が地元の案内役の人に「この人は戦場カメラマンでアフガニスタンやイラクへ行っている人なんですよ」と紹介してくれた。
「戦場カメラマン」と言われるのはあまり好きではないが、フォトジャーナリストなどと説明してもらっても分かりにくいので、最近はこれで良いのかも。と思い始めている。

案内役の人が「戦場でもこんなに酷くないんじゃないですか」と聞いてきた。
その通りだと思う。
イラクの空爆は凄まじかったが、これほど広範囲にすべての建物が破壊されている現場はなかった。

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重機を使った瓦礫の撤去作業が雨の中続けられていた。
ニュースでは瓦礫を撤去して町を再生するのに2年も3年もかかると言われている。
現場を目の当たりにするとそれだけの時間がかかってしまうかもしれないと思える。

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フラワーフェスティバル&写真展

2011年05月04日 13:04

久しぶりに広島で写真展を開催中です。
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昨日から始まった第35回フラワーフェスティバルは初日65万5000人が集った。

白神神社交差点近くでは僕の友人の眼鏡屋さんオンデーズがブースを出している。
眼鏡屋さんのアンケートに答えてもらうだけで久保田が写真を撮影し、その場で写真をプレゼントしています。
写真展は広島市中区紙屋町にあるデパート、サンモール5階で5月8日開催。
広島にお越しの皆さん、サンモール5階、そしてオンデーズのブースに是非顔を出してみて下さい。


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ウサマ・ビンラディン氏殺害

2011年05月02日 14:06

つい先ほどオバマ米大統領が緊急演説をし、ウサマ・ビンラディン容疑者(54)を殺害し、遺体を収容したと発表した。
パキスタン軍統合情報局(ISI)も認めている事から真実だと思われる。

AP通信などによると、ビンラディン容疑者はパキスタン・イスラマバード郊外の住居に家族と滞在中だったという。
首都イスラマバード郊外と伝えられているが、実際はパキスタン北部への玄関となる町パキスタン北部の街アボタバードだったようだ。

アボタバードは北部の町ギルギットやフンザへ行く時に通るカラコラム・ハイウェイ沿いの最初の大きな町だ。
とはいえ、実際は山間の小さな村と思ってもらっても差し支えない小さな集落だ。
そんな小さな町にアラブ系のビンラディン氏がいればあっと言う間に情報は広がる。

何故?今だったのか。
ビンラディン氏がアフガニスタン戦争以降、アフガニスタンのトラボラに潜伏していると報道された時期があった。現在のアメリカが誇る衛星技術と諜報能力を考えれば、これほど長期にわたってアルカイダの最高指導者を逮捕できなかったとは考えにくい。
つまりアメリカはテロとの戦いの象徴としてビンラディン氏を泳がせていたと思われる。
それが、この時期に逮捕、ではなく殺害した。

ビンラディン氏は国際的には同時多発テロの容疑者。その容疑者を逮捕ではなく殺害したと演説するアメリカと言う国はどうなのだろう。

ビンラディン容疑者はサウジアラビア生まれ、79年の旧ソ連のアフガン侵攻に反発し、ムジャヒディン(イスラム聖戦士)としてアフガン入りした。この時アメリカはビンラディン氏を利用している。

サダムフセイン元大統領と似ている。
イランイラク戦争時に利用したものの、その後力をつけすぎ湾岸戦争でクエートに侵攻すると今度は敵対し最終的にはアメリカの力によって国そのものを滅ぼされ、命を奪われた。

ビンラディン氏を逮捕ではなく殺害した事によってアルカイダ及び関連の反米勢力は報復のテロ行為に及ぶ可能性が高い。
その可能性が分かっていながらビンラディン氏を殺害した事実。
テロの容疑者がようやく殺害されて良かった。と言う結果にはならないだろう。
何故今だったのか?本当に逮捕できなくて殺害に及んだのか?
続報を待ちたい。

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JR東日本のミステリー

2011年05月01日 12:16

先日、友が逝った。
予告もなく逝った。
 
友を偲ぶ会には150人近い友人達が集まった。
友人の一人は言った「あいつは触媒だったよ、こうやっていろんな友達をくっつけてくれる」。
同感。
これ程の人脈を持ちながら、誰にも相談せずに逝ってしまった友にみんな怒った。

友が残してくれた出会いという財産を僕たちがつないでいこうよ!と友人と話した。

そんな、少し悲しい気持ちの帰り道。
次の日は朝一番で千葉へ行かなければならないのに、京王線の終電を逃してしまった。
JRのホームに上がるとそこにはムーンライト白馬という特急列車が待っていた。
特急券を買ってでも早く帰宅したかった。

後輩に「あそこの駅員さんに特急券どこで買うか聞いてきて」とお願いする。
発車まで後五分を切っていた。
列車の中はがらがら、これは間違いなく乗れる!と思い、財布を出しつつ後輩に追いつく。

「どこ?どこ?どこで買えばいい?」と聞く僕に後輩は暗い顔で
「23時までしか特急券販売してないそうです」。
「え?車内で買えないの?こんなに空席あるのに」。
「そう聞いたんですけど、23時までに買ってもらわないと乗れないそうです」
そんなバカな。
かつて新幹線にダッシュで飛び乗り、特急券を買った事もある。

いいよ。俺が(普段は僕とう)なんとかするから乗ろう。
と白馬行きの特急列車に乗り込んで空いた席に座る。
車内には登山に行くような人達が大きなザックを網棚に乗せていた。

発車して程なく車掌さんがきた。
「すいません、八王子まで行きたいのですが、スイカで入って特急券は買えなかったんですが。。」
と話すと「お一人様510円になります」。
と特急券を販売してくれた。
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ほら大丈夫じゃん。と僕が言うと後輩は「特急券販売できないって言ったの今の人ですよ!」と不服顔。
「なに~マジか?」
後輩が20代前半でなめられたのか、旧国鉄体質が抜けきれず車内販売が面倒でそう答えたのか。
どういう事よ!と車掌に詰め寄ろうと思った時。
僕の頭の中で先に逝った友がいつもの笑顔で「久保っちゃんいいじゃん、怒らないで」と言った。

いつもなら曲がった事を絶対許さない僕が突然怒りを沈めた事に後輩は不思議そうな顔。
「友達がさ~許してやれって」と目頭を押さえつつ、訳の分からない説明をして八王子までの小旅行を楽しんだ。

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