パプアニューギニア

2010年07月28日 04:16

遙か昔、まだエアーニューギニが日本に就航していない頃。
動物学者の先生とチャーター便でパプアニューギニアを訪れた。

今思えば、この時の様子が放送されたのはTBSだった。

首都のポートモレスビーはビルが建ち並ぶ大都会。
しかし、4発のプロペラ機で向かったゴロカはら族が住む未開の地だった。
コーディネーターがいたにも関わらず槍と弓をもった村人に囲まれたときはちょっとビビッタ。

対立する部族もこの時だけは自分たちの伝統を踊りを披露するお祭りシンシン。
生まれて初めてのヘリコプターでの空撮も経験した。
ヘリのパイロットは何かあったらボタンを押してインカムで話してくれ!と言ったが、ヘリから落ちそうになったときはボタンに手が届かずに意味がなかった。

そんな昔、パプアニューギニアで買ったお土産。
我が家に飾られる事もなく丁寧に保存されて状態ででてきた。

papua.jpg

今年の久保田家では家に眠る財産をドンドン放出して取材費に充てるのが第一目標。
パプア以外のお土産もあるので、是非覗いてください。


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中学の同級生と飲んだ後。

2010年07月26日 21:09

僕の仕事の難点は先の約束がなかなかできないこと。
家庭の都合もあり、京都から実家のある岐阜へ。
突然連絡したにも関わらず、中学の同級生が仲間を集めてくれて飲み会。
この話は改めて。
昔を知っているだけに何の気兼ねもなく楽しく飲めた。
終電がない時間まで。。

我が家の目の前まで送ってもらったけど、何故か家に入る気分になれず、無性に誰かと話したかった。
ってもそんな時間に電話できる相手がいるわけでもなく、、。

マン喫へ行ってダーツ。
カウントアップでもしよーかと投げたらキャッチの17トリプル、ブル、三投目はまさかの17トリプルでハイトン。勿論、僕としては全部ど真ん中のブルを狙っていた。
1546477563_218s.jpg


運がいいのか悪いのか分からない。
我が人生を象徴するかのようなスタートになってしまった。




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方向音痴

2010年07月24日 09:47

道が分かりやすい京都。
ポチ(マイカーの8)を停めた駐車場へ向かう時、オシャレな銭湯を発見し、記念撮影。

ここで運命が決まってしまった。
銭湯の前を真っ直ぐ行けば良かったのだか、左へ。
歩けど歩けど御池通りが出てこない。
ようやく広い通りへ出て看板を見ると
堀川通り。

歩き続けると、な、何と二条城が!
真っ直ぐ行けば15分程の道のりを一時間かけてしまった。

京都の友人に話すと
四条から二条城まで歩いた人初めてですよ!っと言われてしまった。


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奥の細道

2010年07月22日 09:30

あまり知られていないが「奥の細道」結びの地は僕の故郷、岐阜県の大垣市だ。

資金難の為、スリランカ取材を諦めたため時間がういた。(一度決めた取材を諦めたのは初めて)

そんななか、同業者であり友人の安田なつきが京都で写真展をするという情報が入ってきた。
「新幹線で京都へ行くんですよ。久保田さんも行きます~」

んなら新幹線代僕にくれ、RXー8で送ってあげるよ!
と言ったら、それが実現してしまった。

道中、岐阜に立ち寄り大垣で写真の撮り方を少しだけレクチャー。
hosomichi.jpg
スタジオアフタモードのケイと



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ケニア

2010年07月19日 08:16

デジタルになって写真の整理が難しくなった。
PCはHDに隠れている写真がある。

写真を整理していたらケニアの写真が出てきた。
ナイロビは。。時としてアフガニスタンより怖かった。

そんな中、スラムに行った。
勿論、スラムに住む友人と一緒に。
スラムだけあって、バス停からの交通がない。

ケニアヒロ
生まれて初めて自転車タクシーを利用した。

決して乗り心地は良くなかったが、風を切って走るスラムの自転車タクシーは気持ちよかった。
しかも、スラムに住んでいる人でも僕よりきれいは英語を話す。

僕一人では絶対に行けない場所だった。
海外ではいつも友人に助けらられている。



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編集長Tさんとの仕事

2010年07月16日 22:20

新宿で飲み。昔話から現状の話へシフト。
T「僕たちまだ若いですからまだまだ色々やれますよ」。
僕より年上のTさんがこんな台詞をいえるのがすごい。

編集者にしておくのは勿体ない程いろんなアイディアが出てくる。
本人は思いつきで話しているようだが、どれも夢物語ではなく現実性がある。

そんなTさんから土曜日撮影をお願いできますか?と電話をもらった。
ギャラ安いんで申し訳ないですが・・・。

そんなの関係ない。
Tさんと一緒の仕事は何年降りだろう。アフガニスタン戦争以降には仕事をしていなから10年以上。
電話をもらった瞬間からカメラとバッテリーを点検し、撮影状況を思い描く。
デジタルになってリスクは減ったものの、良い意味で緊張感がある。
ましてはTさんの依頼。
モーターショーの撮影をもらった時と同じような緊張感。

カメラマンとして一番良い時代だったのはバブルをあじわった僕の先輩の世代だと思う。
僕は時代が激変する中途半端な時代のカメラマンだったと思うが、リスクが多く、胃が痛い思いをするフィルム時代のカメラマンを経験できて良かったとつくづく思う。

明日の撮影までに何度カメラバックを開けて忘れ物がないかチェックするだろうか。
そんな緊張感がある撮影が出来ることを嬉しく思う。



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パルのダーツ仲間

2010年07月14日 17:33

行きつけのダーツやさんでは僕の仕事はカメラマンとしか言っていなかった。
お陰様でダーツ仲間は僕の事をPーchanと呼んでくれる。

これには実は失敗があって、お酒を飲むとダーツが下手になってしまうので、酔っぱらい用のカードの名前をPーchan、メインカードをhiroにしていたのだが!いつの間にかメインカードの能力が出せなくなり、
Pーchanがメインになってしまった。

アフガニスタンで常岡さんが誘拐された事件では民放全部とNHKに顔を出してしまった。
パルのマスターを含め一部の人しか知らなかったジャーナリスト久保田=Pーchanの姿が露わになってしまった。
ありがたいのは仲間達、テレビで見て心配してたんだよ~!と言ってくれるものの、パルでの僕は今まで通りPーchanでいられる。 いきなり久保田さんになったらちょー悲しい。
最近、ダーツはスランプだし、パルでは冗談ばかりで素の自分でいられるのが嬉しい。

たまたま写真集を持っていた時、昔からの僕の友人が「Pーchanの写真集とっても良いから買ってあげて下さいよ~」と勧めてくれた。
僕は。。自分では勧められない弱気な人なので。。

パルのオーナーとBBさんは既に写真集とDVDを買ってくれている。
なんとなくノリで学生のA子チャンも買ってくれている。

パルの常連さんで一番ダーツが上手い人がパルコインでならいくらでも買ってあげるよ~と言ってくれ、
最近仲良くなったオタマジャクシが大人になった時の名前を持つ常連さんもコインで写真集とDVDを買ってくれた。

アフガニスタンの事にそれほど関心があったかどうか分からないが、一人のダーツ仲間の出版物として買ってくれた気がする。
勿論、買ってもらって損する内容にはなっていない。

時折、ミクシーやブログを見てくれているダーツ仲間。
僕の仕事を知った上でもダーツ下手なダーツ仲間として付き合ってくれるのがとても嬉しい。



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久保田家の眠れる財産。

2010年07月11日 05:03

T編集長のお話の途中ですが、久保田家に眠る財産を放出します。

Tさんが後押ししてくれた。
ドリフトからレーサーになったTさんの友人がTさんに言ったことば
「Tさん自分がやりたいことみんなに話してますか」。
T「年下のA君に言われちゃいましたよ。久保田さんはここまでやってきたんだから、応援してくれる人も沢山いるはずですよ。自分がやりたいこと、ドンドンみんなに話して色んな人に協力してもらったらいいですよ」

いつの間にか人の助けを借りてはいけないという気持ちになっていた。

僕は・・アフガニスタンが大赤字で、もうジャーナリストを続ける事が困難だけど、それでも自分にしか出来ない取材がしたい。

その為に我が家に眠る財産をドンドン放出します。
カンパしてくれる人がいたら、もう、喜んで受け取ります。
応援してくれる人、グッズに関心がある人、是非購入してやって下さい。

アフガンカーペットは付き合いで買ったものですが、僕の好みで選んだ一品です。

お陰様で無事嫁いで行きました。

その他のグッズも久保田ショップにあります。

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編集長Tさんpart2

2010年07月09日 18:06

久しぶりに会ったTさんと新宿の居酒屋へ。
ビールを片手に近況を語り合い、当然のように昔懐かしい平和出版時代の話になっていく。
当時の編集部員はみんな個性があって面白かった。
Tさん曰く「何度もケンカしましたよ。お互い自分が一番の編集者だと思っていましたから」。
上司であれ、なんであれ、自分がこの企画をやりたいと思ったらとことん進んでいた時代だった。
それは外部のカメラマンの僕が見ても分かるくらい。
出世するより創りたいものを創るという意気込みが溢れていた。

「最近、局も雑誌も元気ないんですよ。ありきたりの企画しか通らなくて」と僕。
T「企画会議で通る企画って、実は誰でも思いつくつまらない企画が多いんですよ。それじゃ読者は納得しない」
K「でも企画通らなきゃ紙面にできないし、辛いとこですよね~」
T「企画でウソついちゃえばいいんですよ」この人、こういう話するときいたずらっ子のような笑顔。
K「うそはまずいでしょう~。後で問題になっちゃう」
T「売れれば勝ちですよ」。マジかよ。この人ならやりかねん。
その昔、バリバリマシンというバイク雑誌があり、その後バトルマガジンという車雑誌ができた。
バトルマガジンBMの企画は上層部を騙すハリボテの企画だったらしい。
Tさんは見事に企画を通し、新しい雑誌を創ってしまった。直属の上司から「Tお前俺を首にする気か~」と怒られたそうだが、結果BMは売れてしまい。直属の上司は俺が創った!と鼻息荒かったらしい。
Tさんは勿論、辞表片手の勝負だった。
T「それでいいんですよ、僕は編集者ですから。手柄じゃなくて読者の為に本創るんですから」。

最近Tさんみたいなバカをやれるディレクターや編集者殆どみないですよ。→正直泣き言。
T「僕らがやればいいんですよ」。この人僕より年上だけど未だ勝負し続けているから格好いい。

そんなTさんが僕の事初めて褒めて、認めてくれた事があった。
バリバリマシンがアマチュアライダーにレースを体験してもらう企画を立ち上げ、エビスサーキットでレースが行われた。
実は僕バイクレースをやっていて、この企画に走れるカメラマンとして登場することになった。

race1.jpg
現役時代の僕の走り

イタズラ好きのTさんが単なるカメラマン参戦の企画で終わらせてくれる筈がない。
「久保田さんレース経験者なんだから20位以内に入れなかったら坊主ね!」マジ!実は峠を走っている子達の方が速いんだけど、特にエビスのようなコースでは。
仕方なく、条件をのみ。久しぶりのレース。

あろう事かレース当日は雨。久しぶり+雨でまともな走りができなかった僕は予選落ち。
しかし、予選落ちの人たちでレースをやり敗者復活戦があるらしい。取りあえず坊主が少し先送りに。

race2.jpg
予選落ちの中ではトップクラスだった僕は生まれて初めてのフロントロー(一列目スタート)

激しく降る雨の中シグナルがグリーン!ホールショットを取るつもりがエンジンストール。
左手を挙げ、後続車にスタート出来ないことを伝える。
すべてのバイクが僕を抜いていった後、ようやくエンジンが息を吹き返した。
やってしまった~。坊主確定。涙!
こうなったら転けてもいいからとことん走ろう、と吹っ切れた。
雨で前が良く見えない、アップヒルのストレートではバイクが宙を舞うくらいにアクセルを開けた。
レース中の記憶は殆どない。気がつけばチェッカーフラッグが振られていた。
シールドを開け、ヘアピンカーブで撮影しているNカメラマンに「僕坊主だよね~」とジェスチャーしながら走る。Nカメは「手を振り、敗者復活だよ!」と合図してくれた。
決勝も無事完走し、僕は確か16位くらいだった。坊主は免れた、と思いきやトップ10に入れなかったんだから坊主ですよ~。と誰かが叫び、結局僕は坊主に。

夜エビスサーキットの近くで一杯。
T「予選、三味線弾いていたんですか~」。とんでもない!
T「初めて久保田さんの格好いい所みましたよ。あのごぼう抜きは鳥肌たった」と初めて僕の事を褒めてくれた。
そう、翌日はT編集長のBMの撮影。カメラマンとしての僕の出番がある。予選はどこかで守りに入っていたのかもしれない。
当時の僕はTさんが編集部の中で常に辞表片手に勝負しているとは知らなかった。いつも笑顔でジョークばかりの明るい編集長だと思っていた。
Tさんとは一年に一度くらいの付き合い。これからは少し増えそう。
飲む度に「あの時の久保田さんは格好良かったな~」と言ってくれる。僕が女性だったらその場で落ちる心の底からあふれ出てくるような笑顔。
新宿での飲みは昔話から、これからのお互いの仕事の話へとシフトしていった。
続く。


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編集長Tさん

2010年07月08日 20:02

遙か昔の話。
場所は神保町。

友人のカメラマンがバイク雑誌に写真を届けに行くのに付き合った。
僕は現像所に出した現像の待ち時間だった。

そこで出会ったのが今はなき平和出版のTさん。
一応、名刺交換はしたものの、友人がレギュラーで仕事をしている雑誌から仕事をもらう気はなかった。

写真付きの年賀状を出すだけのお付き合いが2年ほど続いただろうか。
突然Tさんから電話があり、「久保田さん、モーターショーの撮影お願いできませんか~」と言われた。
僕の友人Nさんはサーキットでの撮影があるのでモーターショーには行けないと。

スケジュールを見ると既に撮影の予定が入っていた。
僕たちの世界は先入れ優先が原則。
どれ程条件が良い撮影が後から入ってきても先に引き受けた撮影をする。

その大原則を初めて破った。
Tさんからの初依頼。これを断ったら次はないと思った。
先に引き受けていたクライアントには僕と同レヴェルのカメラマンを紹介して納得してもらった。

引き受けたのは良いが、モーターショーってどうやって撮影するんだ?
会場は水銀灯を含むミックスライト、リバーサルを使えば間違いなく色かぶりをする。
かといってストロボ一発じゃ背景が暗く落ちてしまい素人写真になってしまう。
あれこれ考え、先輩のカメラマンの知恵をかりて、結局ストロボ2灯+マゼンダのフィルターを用意した。
今ではデジタルカメラのオートホワイトバランスで撮影できてしまう。
プロカメラマンの需要が少なくなるわけだ。

Tさんは仁義に熱い人。「久保田さん、ずーっと年賀状くれてたでしょう。僕、そーゆーのに弱いんですよ」。
と満面の笑みで僕に撮影の依頼をしてくれたきっかけを教えてくれた。
モーターショー以降もNさんの仕事を奪わない範囲で僕に撮影をくれていた。

ある時、夜の大黒ふ頭で30~40台近い車を撮影する仕事が来た。
これまたカクテルライト。
僕は撮影の3日前に大黒ふ頭を訪れ、自分の車でテスト撮影してピッタリのフィルターを見つけておいた。

当日は霧雨。何度もフィルターを変えながら撮影できる環境じゃなかった。
僕は「水銀灯とナトリウムランプ・・このフィルターで撮影します」と撮影を始めた。
同行した編集者は「久保田さん、フィルター何枚か変えなくて大丈夫ですが?」と心配そう。
僕は「以前も似た環境で撮影しているので大丈夫です」と答え。全身ずぶ濡れになりながら撮影を終えた。

当時は何も言わなかったが、Tさんは僕の写真をずうっと見てくれていたようだ。
この時の秘話をT編集長に話したのは10年近く経ってからだった。
Tさんは「久保田さんは人の表情撮るの上手いし、想いのある写真を撮ってきてくれるんですよね~」とカメラマンにとっては最高の褒め言葉をくれた。

昔から僕を可愛がってくれていたTさんと新宿で再会、一杯やることになった。
今回は前置きで字数オーバー。
続く。



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HPの更新。

2010年07月05日 14:31

web関係に弱い僕。
思い腰をあげてようやくHPを更新してみた。
多分、なれた人がやれば10分で済む作業だと思うが、あれこれ一時間くらいかかってしまった。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~kubota-photo/index.html

今回は僕が海外で出会った友人達の写真をアップしてみた。
リンクをはるための写真の位置を微妙に調整できないのが残念。
結構、一生懸命やったんだけど・・・。
web関係に強い人、知恵をかして下さい。
こんな日記をミクシーにアップしたら、僕のマイミクさんが写真の位置を直してくれた。

既存のメディアが衰退し、ブログやTwitterやmixiで情報が発信される昨今。
ネット関連に詳しくないと生き残れない時代かもしれない。



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北海道へ

2010年07月02日 15:40

久しぶりに北海道を訪れた。
道新スポーツのカメラマンに誘われたのがきっかけ。

アフガニスタンでのドタバタでテレビに出てしまい、北海道の友人達にも心配をかけてしまっていたので、
無事帰国した元気な姿を見せる目的もあった。

道新スポーツのカメラマンTさんは今まで久保田君って呼んでくれていたのが、何故か今回はPチャンと呼んでくれていた。
僕がPチャンでいるのはダーツ仲間の前だけだったのだけど・・・。

北海道でも晴れ男パワーが炸裂。記者会のゴルフコンペ雨の予想がビックリするくらいの好天。

夜は道新スポーツの友人が紹介してくれた地元の人が美味しい店に連れて行ってくれた。
僕一人ではとても行けない場所のお店では最高の海産物を味わった。
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新鮮な透明のイカ刺し

最終日には北海道のマイミクさんが僕を案内してくれた。
人生初のスープカレーを食べ、昔懐かしい支笏湖へ連れて行ってくれた。
昔バイクで北海道を走っていたとき支笏湖畔の温泉に何度も行った。

今回は地元の人の案内で僕が行ったことがない伊藤温泉に連れて行ってもらった。
温泉マニアの僕がスルーしていた穴場の温泉。
残念な事に雨が降っていたが、ここでも晴れ男パワー!
露天風呂につかっているうちに雨が上がり、水墨画のような支笏湖が見れた。
伊藤温泉
支笏湖畔の伊藤温泉

空港には20年来の付き合いになる牧場に勤める友人が駆けつけてくれ、ジンギスカンをご馳走してくれた。
食後、僕が友人に頼まれたハスカップのグミをダッシュで一緒に探してくれ、あれ?どこへ行った?と思っていると僕へのお土産を買って戻ってきてくれた。
「折角来てくれたのに何のおかまいもできなかったから」って。毎回、ご馳走になってしまっている。

ミクシー上の付き合いだけで初めて会った僕を案内してくれた友人、夜美味しい店に案内してくれた友人、そして昔からの友人に感謝。



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